公田町
くでんちょう

鎌倉の風が吹く

鎌倉の古刹、円覚寺(えんがくじ)から山を越えた横浜側にある集落が公田町。狭い谷に展開する集落景観は、鎌倉に似通っています。

【1】山裾のわずかな土地に家や耕地がつくられました。この家は大正初期の角田(つのだ)家住宅で、国の登録有形文化財です。
【2】石垣には近くで採れた鎌倉石を使っています。
【3】この山を越えれば鎌倉。山中には鎌倉へ抜けるハイキングコースが通っています。鎌倉特有の横穴墓「やぐら」も見られました。

公田町は横浜市最南端の集落ですが、中世以降1889(明治22)年までは鎌倉郡に属していました。現在も小山を隔てて鎌倉市に接しており、集落景観はどことなく鎌倉に似通っています。たとえばここでは三方を小高い山に囲まれた谷戸(やと)に家が築かれていますが、これは鎌倉の集落景観そのものです。


鎌倉石の石垣

集落を囲むように崖が切り立つ

加工しやすい崖に横穴をくり抜き、「やぐら」としている場所もありました。「やぐら」とは鎌倉時代の鎌倉でのみつくられた独特の横穴墓のこと。鎌倉は山がちな都市であり、人口が過密状態だったことから、こうした墓所が開発されました。


公田町に現存する「やぐら」

公田町の古民家

公田町は戦後まで鎌倉天園のハイキングコースでしたが、昭和30年代に宅地開発の波が押し寄せ、40年代にかけて公社・公団の団地が続々と完成しました。そんな公田町にあって、鎌倉市今泉へ抜ける峠道に通じる谷戸の周辺では、いまも複数の古民家を見ることができます。


国登録有形文化財の角田家住宅。1913(大正2)年ごろ

北村家住宅

いっぽう鎌倉市とは反対側の町の北部(栄区役所寄り)では、北村家住宅が特筆されます。長さ20メートルほどの石垣と板塀に囲まれ、表門と通用門をもつ豪壮な住宅です。解説板などはなく詳しい由来は不明ですが、当地の旧家、豪農だったお屋敷なのでしょう。


【住所】神奈川県横浜市栄区公田町1000〜2000番地付近
【公開施設】なし
【参考資料】
『都市の記憶 横浜の主要歴史的建造物』公益社団法人横浜歴史資産調査会、2014年(改訂第6版)
『角川日本地名大辞典(14)神奈川県』角川書店、1984年

2014年10月19日撮
*2016年12月2日更新/ご覧になった方から、角田家住宅は農家ではない旨ご指摘をいただいたので、該当部分を修正しました


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