子安
こやす

三浦半島の奇跡

横須賀市と葉山町にまたがる湘南国際村は、計画の途中で放棄されたバブル時代の置き土産。この計画地のすぐ隣に、昔と変わらぬ風景を残す子安の里が残されています。

【1】子安の里は標高70〜220メートルの丘陵に囲まれています。日当たりを求め、家は尾根上に建てられました。
【2】気候は温暖ですが、冬から春にかけて季節風が吹きます。対策として、屋敷の北と西に防風林を設けています。
【3】屋敷前の斜面を畑とします。
【4】子安のうち北側の仲地梨地区で見られる土地利用の特徴が、屋敷前の墓所。内墓と呼ばれます。集落の寺院(西光院)は谷を挟んだ向かい側にあり、墓参の不便を解消するため、内墓をつくるようになったといわれています。

東京近郊の保養地として、また住宅地として、隅々まで開発の手が及んだかのような三浦半島にも、古き里山の風景は残っています。それが半島の中西部にある子安の里。バブル時代に「国際交流拠点の創出」として計画されながら、建設途中で断念された湘南国際村に隣接する関根川沿いの里です。


関根川の谷に集落が営まれている

子安では尾根上に屋敷を構え、その下の斜面を畑とする

狭い谷地の子安では日当たりを求め、尾根上に家が建てられました。主屋は東を向き、その下の斜面を畑とし、裏手には冬の季節風をよけるための屋敷林を茂らせています。付属屋の配置は地形によりさまざまですが、主屋を中心に両側に蔵、納屋、長屋門などを建てる家が多いようです。こうした家は100メートルほどの間隔をあけて点在し、散村のような風景を見せています。

付属屋で目立つのが長屋門。中央を通路とし、一方を牛小屋、もう一方を物置として使いました。右写真は屋号「次郎兵衛」の長屋門で1890(明治23)年の建造。地元で採れる砂岩系の切石で土台を築き、軒まわりを出桁(だしげた)造りにした、子安の長屋門建築の典型的な様式です。


「次郎兵衛」の長屋門

「作合」の長屋門

左写真は屋号「作合」の長屋門で、子安に現存する3棟の長屋門中最大。建設は1884(明治17)年で、屋根をかぶと造りにしているのが特徴です。

主屋はみな寄棟造。関東地方の一般的な農家とは異なり、大棟を支える柱(棟束)があるのが特徴です。関東地方の農家は江戸後期になると、蚕の飼育にかなう屋根裏空間を確保するため、棟束を省略するようになりました。しかし子安を含む三浦半島では養蚕が行われなかったため、棟束のある古い形式が継承されたようです。
外観では出桁造りとするのがより古い形式で、子安最古の民家、屋号「丸山」では見事な出桁が見られます。
しかし幕末になって開口部が広がると縁側を設けるようになったため、下屋庇が普及し、出桁造りの家は減っていきました。


子安最古の民家、屋号「丸山」。19世紀初頭と推定される

現存唯一の茅葺き民家、屋号「岸家」。建築は明治初期で下屋庇をもつ


子安では住宅の改装も進んでいるが、古い付属屋を残す家も多い


【住所】神奈川県横須賀市子安
【公開施設】なし
【参考資料】
『横須賀市文化財調査報告書第10集 秋谷・子安地区集落景観調査報告書』横須賀市教育委員会、1985年

2013年11月23日、15年2月1日撮影


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