谷中
やなか

楽しい山の手町歩き

谷中は上野公園の北、日暮里駅の南西にある高台の町。100以上の寺院と江戸風の町家が残り、東京屈指の散策コースとして知られています。

【1】そこかしこにお寺のいらか。谷中は東京屈指の寺町です。
【2】三叉路に生える樹齢90年のヒマラヤスギは、緑あふれる谷中の路地裏を象徴する存在です。
【3】こんなところに旧町名のプレートが。「谷中上三崎南町73」とあります。現在の谷中1〜7丁目は、1966(昭和41)年まで9つの町に分かれていました。ちなみに「三崎」は「さんさき」と読みます。

谷中は戦災をまぬかれた古い寺町。江戸時代、徳川家の菩提寺・寛永寺の寺領として数々の寺が建てられ、門前町が形成されました。当時、有数の大寺院だった天王寺は、幕末の上野戦争でほぼ全焼し、広大な寺域のほとんどが谷中霊園に転用されましたが、町内にはいまも100以上の寺院が集まっています。


谷中寺町

朝倉文夫自邸兼アトリエを改装した朝倉彫塑(ちょうそ)館。1935(昭和10)年

明治時代に入ると東京美術学校(現・東京藝術大学)が近くに開校し、ここで学んだり、教壇に立った芸術家が暮らすようになりました。彫刻家の朝倉文夫や平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)の居宅兼アトリエは現在も残され、それぞれ文化施設として利用されています。


平櫛田中の旧邸(中央)とアトリエ(左)。1919〜22(大正8〜11)年


平櫛田中邸アトリエ。採光を安定させるため北側に大窓をもつ
谷中ではNPO法人たいとう歴史都市研究会が歴史的建造物の保存・活用を推進中。平櫛田中邸も長らく空き家でしたが、2004年からNPOが清掃や見学会を行うようになり、藝大生の創作の場としても活用されています。
藝大に近い旧市田邸もNPOが借り受け、イベントスペースとして使われています。


旧市田邸。1907(明治40)年、日本橋の布問屋の自邸として建設


カヤバ珈琲は谷中のシンボル

日替わりでカフェやワークショップを行う間間間(さんけんま)、谷中のランドマーク的存在であるカヤバ珈琲も、NPOが「再び人の集う空間に」と再生したものです。

古い商家が並ぶ。右手前が1919(大正8)年築の町家を再生した間間間

間間間の並びにある商家群。この「初音の道」沿いには古い家が多い


三層の土蔵をもつすぺーす小倉屋


寺院の塀に向き合って板張りの長屋が建つ


かつての酒屋を活用した自転車店、tokyobike gallery谷中


【住所】東京都台東区谷中1〜7丁目、上野桜木1〜2丁目
【公開施設】市田邸(年間数日公開)、旧平櫛田中邸(年間数日公開)、旧吉田屋酒店、朝倉彫塑館
【参考資料】
NPO法人たいとう歴史都市研究会

2014年8月24日撮


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