須田町・淡路町
すだちょう・あわじちょう
奇跡の三角地帯
東京・神田に、戦災をのがれた「奇跡のトライアングル」と呼ばれる一画があります。木造の料理屋が、江戸時代から続く町の歴史を教えてくれます。 |
神田須田町1丁目と淡路町2丁目の境界付近、靖国通り、外堀通り、神田川に挟まれた一画は、東京大空襲を免れた“奇跡の三角地帯”。1923(大正12)年の関東大震災後に再建された料亭建築が現存し、東京下町の風情を色濃く残しています。 |
周辺にビルが林立する中に古い町並みが残る |
神田まつや |
三角地帯の南の入口、靖国通りに面して建つのが1925(大正14)年築の蕎麦屋の「神田まつや」。正面の左右に開けられた入口上には、店名にちなんだ松葉型の欄間がくり抜かれています。 |
まつやのハス向かいに建つのが1928(昭和3)年の山本歯科医院。震災復興期に多く建てられた看板建築の好例で、耐火性を高めるため外壁をモルタルで仕上げています。軒蛇腹や看板部分などの色を変えて幾何学的なデザインとしているのは、当時の流行でしょうか。 |
山本歯科医院 |
ぼたん |
この山本歯科医院の向かいの小道を入ると須田町の深部へ至ります。 |
「ぼたん」の交差点を右折した先には、いずれも木造一部3階建の甘味処の「竹むら」、あんこう料理の「いせ源本店」が向かい合います。 |
須田町の銅板建築群 |
竹むら(左)といせ源が向かい合う町並み |
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かんだやぶそば。現存せず(2002年4月23日撮影) |
「ぼたん」の交差点で曲がらずに直進すると、1923(大正12)年築の「かんだやぶそば」がありました。界わいの料理屋建築の中では珍しい、前庭をもつ数寄屋造のゆったりとした建築でしたが、2013年2月の火災で半焼。その後、再建されました。 |
一連の木造料理屋では行灯型の看板を見ることができます。店ごとに屋根を架けたり、持ち送りで支えたりしているのですが、これほどバリエーション豊かな看板が見られる町も珍しいと思います。さすが、お江戸・神田といったところでしょうか。 |
いせ源の木製看板(右)は建築時のもの。2階から屋根看板(左)を吊るす |
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2013年3月10日、14年10月28日撮影 |