須田町・淡路町
すだちょう・あわじちょう

奇跡の三角地帯

東京・神田に、戦災をのがれた「奇跡のトライアングル」と呼ばれる一画があります。木造の料理屋が、江戸時代から続く町の歴史を教えてくれます。


【1】木造の料亭建築が点在します。この「竹むら」(1930=昭和5年)は各階に庇を付けているため、非常に賑やかな印象を受けます。
【2】須田町・淡路町では看板のバリエーションも豊か。「いせ源」(1932=昭和7年)のものは屋根看板と呼ばれるタイプです。通常、道路に直角に掲げられますが、立地に合わせ、交差点に向け斜め45度に掲げています。
【3】料亭建築では一般の町家以上に豊かな装飾を見ることができます。たとえば、2階の欄干。「いせ源」には菱形の透かしが、「竹むら」には竹と梅の透かしがあります。

神田須田町1丁目と淡路町2丁目の境界付近、靖国通り、外堀通り、神田川に挟まれた一画は、東京大空襲を免れた“奇跡の三角地帯”。1923(大正12)年の関東大震災後に再建された料亭建築が現存し、東京下町の風情を色濃く残しています。


周辺にビルが林立する中に古い町並みが残る

神田まつや

三角地帯の南の入口、靖国通りに面して建つのが1925(大正14)年築の蕎麦屋の「神田まつや」。正面の左右に開けられた入口上には、店名にちなんだ松葉型の欄間がくり抜かれています。

まつやのハス向かいに建つのが1928(昭和3)年の山本歯科医院。震災復興期に多く建てられた看板建築の好例で、耐火性を高めるため外壁をモルタルで仕上げています。軒蛇腹や看板部分などの色を変えて幾何学的なデザインとしているのは、当時の流行でしょうか。


山本歯科医院

ぼたん

この山本歯科医院の向かいの小道を入ると須田町の深部へ至ります。
小道の左手にあるのが鳥鍋料理店の「ぼたん」。1929(昭和4)年に建てられた木造・一部鉄筋コンクリート造りの大規模な複合建築です。

「ぼたん」の交差点を右折した先には、いずれも木造一部3階建の甘味処の「竹むら」、あんこう料理の「いせ源本店」が向かい合います。
また、交差点を左折すると震災後の東京で多く建てられた銅板建築が並び、須田町・淡路町界わいで最後の「古い町並み」と呼べる町角を構成しています。


須田町の銅板建築群

竹むら(左)といせ源が向かい合う町並み

かんだやぶそば。現存せず(2002年4月23日撮影)

「ぼたん」の交差点で曲がらずに直進すると、1923(大正12)年築の「かんだやぶそば」がありました。界わいの料理屋建築の中では珍しい、前庭をもつ数寄屋造のゆったりとした建築でしたが、2013年2月の火災で半焼。その後、再建されました。

一連の木造料理屋では行灯型の看板を見ることができます。店ごとに屋根を架けたり、持ち送りで支えたりしているのですが、これほどバリエーション豊かな看板が見られる町も珍しいと思います。さすが、お江戸・神田といったところでしょうか。


いせ源の木製看板(右)は建築時のもの。2階から屋根看板(左)を吊るす


左から順に……
1.かんだやぶそば。「や婦゛そば」とある。支柱もちょうな削り風で凝っている
2.ぼたんは「鳥」の草書体。いせ源の屋根看板と同型だが、下に鉄製の持ち送りをそなえる
3.竹むらの看板は珍しい六角柱の看板で「志る古」と入れる。上の円盤に施されている彫刻は花型紋様か
4.まつやは立方体の行灯。屋根裏には垂木(たるき)がめぐらされているから驚く


【住所】東京都千代田区神田須田町1丁目、神田淡路町2丁目
【公開施設】なし

2013年3月10日、14年10月28日撮影


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