新佃島
しんつくだじま

佃島とは似て非なる

江戸時代初期に成立した佃島に対し、新佃島は明治時代の埋め立てで生まれました。両者とも住所は「中央区佃」といいますが、2つの島には250年もの隔たりがあります。町を歩くと、佃島とは異なる風景に出合います。

【1】歩道と車道を分けた幅広の道は、江戸期に成立した佃島には見られません。道幅は6間(約11メートル)あります。
【2】佃島では漁家の血を引いた家を見かけますが、新佃島では出桁(だしげた)造りの町家風の長屋をよく目にします。
【3】一歩路地に足を踏み入れると、そこは異空間。庭をもたない長屋の住民が植木を飾っているほか、井戸もあり、公私混同のスペースであることが分かります。

江戸時代初期、徳川家康の命により大坂から移り住んだ漁民が築いたのが佃島でした。それからおよそ250年後。1896(明治29)年に、佃島の南東側を埋め立てて出現したのが新佃島です。


出桁造りの商店が見られる

居住用の出桁造りの四軒長屋

佃島を代表する建築が江戸以来の漁家なら、新佃島で多く見られるのが出桁造りの長屋。道路網も碁盤目状で、佃島のように交差点がカギ型になったり、道幅が不規則に変わることもありません。2島の間には前近代と近代の境界が横たわっているのです。

新佃島の道路網はお隣、月島と共通しています。町の真ん中を東西方向に走るのが、かつて市電が走った幅30メートルの清澄通り。その南北に幅11メートルの車道が碁盤目を描き、商店が連なります。出桁をあらわにした商家があれば、レトロな銅板建築もあり、昭和の風情が色濃く残ります。


町家風の建物や銅板建築が並ぶ

切妻玄関をもつ二軒長屋は、2010年にリフォームされた佃ハウス

庶民の生活道は車が入れない幅2メートルの路地。ここにも長屋がびっしり並び、独特の路地裏世界をつくり上げています。中にはおもむきある外観はそのままに、内部を現代的に改装して売り出されたリノベーション長屋も存在します。


昔のままの出格子や雨戸袋をもつ二軒長屋

新佃島でおもしろいものが、路地裏の階段です。ふつう埋立地は土地を平らにならすため、起伏が生まれることはありません。路地裏の階段が生まれた理由について、一説には、当初の埋立計画地の終端に設けられた堤防の痕跡ではないか、ともいわれています。真相は定かではありませんが、下町にはない階段に思いがけず出合うと、なんだか嬉しくなってしまいます。


階段のある路地

井戸のある路地


【住所】東京都中央区佃2・3丁目
【公開施設】なし

2013年11月17日撮影


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