清戸
きよと

300本のけやき

清戸は青梅と志木を結ぶ志木街道の中継点として発展しました。後代、道路が拡張されると、農家の屋敷林だったケヤキは伐採されずに、車道と歩道を隔てる並木道となりました。

【1】一直線に伸びる志木街道は、ケヤキの並木道。その数、実に300本! もとは農家の屋敷林だったといいます。
【2】門やブロック塀をもつ、風格ある農家が点在しています。
【3】ケヤキとともに志木街道のシンボルといえるのが土蔵です。10棟ほどの白壁土蔵が並木と一体となってつくり出す景観に特徴があります。

東京都の中北部にあり、三方を埼玉県に囲まれた清瀬市には、背骨のように志木街道が走っています。この道は箱根ヶ崎(瑞穂町)で青梅街道と分かれ、清戸を経由して志木へ至る道で、青梅で採れる石灰や名産の青梅縞などを新河岸川の引又河岸へ運んでいました。


志木街道

街道の裏側に畑が広がる

この街道とは別に、清戸から練馬・江戸方面へ向かう道も清戸道と呼ばれ、江戸市中まで半日で行けることから、毎日のように野菜が出荷されていました。
現在の清戸にも、そんな時代を思い起こさせるのどかな農村風景が残されています。


トタンで覆われた茅葺きの納屋と石蔵


脇道の牛舎

清戸の志木街道には300本もの見事なケヤキ並木があります。これらは農家の屋敷林だったもので、街道の拡張時に街路樹として残されました。いまも交通の要衝として自動車がひっきりなしに往来する道ですが、およそ1500メートルにわたって並木が続き、沿道の蔵や納屋、薬医門などと調和した風景を残しています。


古い民家は少ないが、蔵は意外と残っていた

比較的大きな納屋を残す家もある


下清戸では石蔵が目立つ


【住所】東京都清瀬市上清戸1〜2丁目、中清戸1〜5丁目、下清戸1〜2丁目
【公開施設】なし
【参考資料】
『日本の文化的景観』文化庁文化財部記念物課監修、同成社、2005年
『角川日本地名大辞典(13)東京都』角川書店、1978年

2013年11月17日撮


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