北千住
きたせんじゅ

消えゆく宿場の風情

日光・奥州道中で江戸を出て最初の宿場が千住宿。隅田川を挟んで南千住と北千住に分かれているうち、北千住には昔のままの商家が残り、宿場町の風情を漂わせています。

【1】千住宿を貫く旧日光街道。商店街となっていて、多くの人で賑わいます。
【2】旧街道に面して間口3〜5間の町家が点在。これは元紙問屋の横山家住宅です。旅籠建築は現存しない様子でした。
【3】ここにあった明治建築は建て直されて現存しません。「好きな町 千住宿」と、言葉では好きに言えますが、宿場町の風景の継承は並大抵の決意ではできません。

東京23区には江戸時代にさかのぼる4つの宿場町があります。東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、そして日光・奥州街道の千住宿です。いずれも近代化いちじるしく、連続的な町並みはほとんど見られません。これも首都・東京の宿命なのでしょうが、千住宿(北千住)にはかろうじて宿場町時代の雰囲気が残されています。


北千住の旧日光街道の町並み

間口3間の小さな商家が多い

北千住の旧日光街道は現在、商店街になっていて、ところどころに出桁(だしげた)造りの商家が残されています。中には看板建築として増築されたものもあり、よく観察して歩くと、2014年現在でも10軒ほどの古い町家が見られました。

町家の中には、大正時代に建てられた魚屋を改装した「千住街の駅」のように、新たに整備・公開されるようになったものもありますが、それでも一昔前に比べるとだいぶ減ってしまいました。
わたしはかつて、公私の用事で千住宿近くの足立区立中央図書館へ行くことが多かったのですが、今回(2014年)撮影のため久々に歩いてみると、北千住に残る最後の旅籠建築「金町屋」は跡形もなくなっていました。金町屋は、骨接ぎの名医・名倉医院の患者が宿泊した5軒の宿屋の1軒だったといい、軒行灯などがとてもいい味を出していただけに、とても残念に思いました。


整備された「千住街の駅」。観光案内所として使われている

町並みの北端にあった金町屋。現存せず(2004年6月20日撮影)


こうした何気ないサインが宿場町の風情を演出していた


間口2間の商家。現存せず(2004年6月20日撮影)

メディアでしばしば紹介される“槍かけだんご”の「かどや」も、1907(明治40)年築の平屋の店舗は、近代的な3階建てのビルに改築されていました。個人的には、昔のお店のほうが購買欲をそそられるのですが…。
以前の店舗は柱が斜めに傾いていたので、耐震上問題があったのでしょうけれども、「好きな町 千住宿」のフラッグを町じゅうに掲げるのであれば、町ぐるみで昔の建物を継承してもらいたかったです。

かどや旧店舗。明治時代、足袋屋として建設(2004年6月20日撮影)


現在のかどや店舗

この「かどや」の近くでは、江戸時代の横山家住宅と絵馬屋吉田家が向かい合って建ち、北千住で最後の「歴史的町並み」と呼べる景観を伝えています。


下村家住宅。1924(大正13)年ごろの建造で、こちらも紙問屋だった


横山家住宅は江戸時代後期の建築。紙問屋を営んだ


板垣家住宅。1938(昭和13)年築。旧街道では珍しい戦前の住宅建築


名倉医院。建設年は不明だが、江戸時代以降の建築物が残るといわれる


【住所】東京都足立区千住3〜5丁目
【公開施設】なし
【参考資料】
パンフレット「千住いえまちMAP vol.3」千住いえまちプロジェクト、2014年

2014年8月24日撮影


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