北千住
きたせんじゅ
消えゆく宿場の風情
日光・奥州道中で江戸を出て最初の宿場が千住宿。隅田川を挟んで南千住と北千住に分かれているうち、北千住には昔のままの商家が残り、宿場町の風情を漂わせています。 |
【1】千住宿を貫く旧日光街道。商店街となっていて、多くの人で賑わいます。 |
東京23区には江戸時代にさかのぼる4つの宿場町があります。東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、そして日光・奥州街道の千住宿です。いずれも近代化いちじるしく、連続的な町並みはほとんど見られません。これも首都・東京の宿命なのでしょうが、千住宿(北千住)にはかろうじて宿場町時代の雰囲気が残されています。 |
北千住の旧日光街道の町並み |
間口3間の小さな商家が多い |
北千住の旧日光街道は現在、商店街になっていて、ところどころに出桁(だしげた)造りの商家が残されています。中には看板建築として増築されたものもあり、よく観察して歩くと、2014年現在でも10軒ほどの古い町家が見られました。 |
町家の中には、大正時代に建てられた魚屋を改装した「千住街の駅」のように、新たに整備・公開されるようになったものもありますが、それでも一昔前に比べるとだいぶ減ってしまいました。 |
整備された「千住街の駅」。観光案内所として使われている |
町並みの北端にあった金町屋。現存せず(2004年6月20日撮影) |
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メディアでしばしば紹介される“槍かけだんご”の「かどや」も、1907(明治40)年築の平屋の店舗は、近代的な3階建てのビルに改築されていました。個人的には、昔のお店のほうが購買欲をそそられるのですが…。 以前の店舗は柱が斜めに傾いていたので、耐震上問題があったのでしょうけれども、「好きな町 千住宿」のフラッグを町じゅうに掲げるのであれば、町ぐるみで昔の建物を継承してもらいたかったです。 |
かどや旧店舗。明治時代、足袋屋として建設(2004年6月20日撮影) |
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この「かどや」の近くでは、江戸時代の横山家住宅と絵馬屋吉田家が向かい合って建ち、北千住で最後の「歴史的町並み」と呼べる景観を伝えています。 |
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名倉医院。建設年は不明だが、江戸時代以降の建築物が残るといわれる |
2014年8月24日撮影 |