本郷
ほんごう

坂下に漂う文士の気配

標高15〜20メートルの山の手台地に位置する本郷は、わたしが思うに「最も山の手らしい町」。いくつもの急坂が路地裏をめぐり、木造の家々が連なっています。

【1】この井戸がある家が樋口一葉旧居跡。「跡」なので当時の建物は残っていませんが、風情は満点です。
【2】台地の先端に位置する本郷は坂の町。階段を造成した急坂もたくさんあります。
【3】木造の2階家や3階家は、本郷の景観を構成する重要な物件です。学生街でもあるため、古い歴史をもつ下宿屋や長屋も見られます。

本郷は日本有数の学生街。1877(明治10)年、加賀藩前田家の上屋敷跡に東京大学が創設されたのをはじめ、1886(明治19)年に東京高等師範学校と第一高等中学校が、4年後に東京女子高等師範学校が創立し、その後も近隣の神田地区を含め、次々と学校が生まれました。
これに合わせ、下宿屋や書店、医薬品販売店などが並ぶ独特の町並みが形成されたのです。


東京大学の赤レンガ塀

旅館・鳳鳴館

その名残りはいまも見られます。本郷町内にはかつての下宿屋を起源とする旅館が多く、東京有数の旅館街を形成しています。
また、東京大学周辺には書店や出版社などの近代建築が建ち並び、重厚な町並みをつくり出しています。


明治時代に建てられた下宿・本郷館。2011年解体


東京大学の向かいの近代建築

本郷はまた、文士の町でもありました。東京大学で学び、のちに教壇に立った夏目漱石をはじめ、ここには多くの文人が集いました。中でも象徴的存在といえるのが樋口一葉でしょう。
17歳で父と死別した一葉は、翌1889(明治22)年、母・妹とともに本郷の借家に移り住みました。彼女は父に代わって一家の大黒柱となり、当地の質屋「伊勢屋」に通いながら日銭を得ていたという記録が残っています。
一葉一家が3年近く暮らした家の路地、ゆかりの伊勢屋(昭和時代に廃業)などは格好の散策コースです。


旧伊勢屋。現在の建物は一葉のころよりもあと、1907(明治40)年の建造

徳田秋声旧宅。主屋は明治時代の建築。2階部分は後補

徳田秋声は、今日ではほとんど読まれない「過去の文豪」ですが、大正から昭和初期にかけて数々の連載を掛けもった「元祖・大衆作家」ともいうべき人物でした。当時暮らしたのが本郷で、『足迹(あしあと)』『あらくれ』など、代表作の多くを書いた旧宅が保存されています。
秋声旧宅のある辺りには、一見して戦前に建てられたことが明らかな木造長屋が多く残ります。これらの中にも、かつて下宿屋を営んだものがあったのかもしれませんね。


秋声旧宅の並びにある長屋


木造長屋が3棟まとまっている
表通りの近代建築群と、裏通りの木造住宅群。それらを結ぶ坂の数々――。
明治以来150年間の建築物に加え、右へ左へ曲がりながら台町と谷町を結ぶ坂があるからこそ、本郷は「最も山の手らしい町」であり続けているのです。


石垣の高さが地形の険しさを物語る。鐙(あぶみ)坂の景観


【住所】東京都文京区本郷1〜7丁目
【公開施設】なし

2002年12月5日、14年8月24日撮影


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