阿佐ヶ谷
あさがや

団地の原風景

東京都杉並区成田東にあった通称「阿佐ヶ谷住宅」は、日本住宅公団(現・都市再生機構)の肝いりで造成された集合住宅です。目標としたのは「戦後の住宅設計の規範づくり」でした。

【1】赤屋根がかわいらしい2階建てのテラスハウスはル・コルビュジエの弟子、前川國男の設計。コンクリートブロックを積み重ねた独特のつくりで、ブロックの継ぎ目がリズミカルな陰影を生みます。
【2】3〜4階建ての中層住宅も建てられました。
【3】各棟は非常にゆったりと配置され、建物の間に間に美しい植栽があります。数棟ごとにつくられた「コモン」という中庭的な公園も大きな特徴です。

「茅葺き民家を訪れると、そこが初めての場所でも、生まれ育った家のような懐かしさを感じる」とはよくいわれることですが、阿佐ヶ谷住宅のような低層アパートもまた、訪れる者を郷愁にいざなうのではないでしょうか。


カーブを描く道に沿って赤屋根のテラスハウスが並ぶ

テラスハウス

戦後の住宅難の時代、日本住宅公団はさまざまな集合住宅を試験的に建設しました。1958(昭和33)年に完成した阿佐ヶ谷住宅もそのひとつです。特徴は、敷地内にゆるやかにカーブする道路網を引き、2階建てのテラスハウスと3〜4階建ての中層住宅を建て、ところどころに公園(コモン)を設けていることです。
テラスハウスでは各戸に広めの前庭もつくられ、共有のコモンと合わせ「大小2つの庭をもつ」と評されました。

日本には元来、広場を中心に町を形成するという考えがありませんでした。あるのは火除け地としての広小路くらいで、この点が日本とヨーロッパの都市の大きな違いとなっています。そんな日本に、コモンという共有緑地を軸にした住宅をつくること自体、無理のあることだったのでしょうか。阿佐ヶ谷住宅は直系の子孫を生むことなく、2013年に解体されてしまいました。


棟番号は黒タイルで書かれた


【住所】東京都杉並区成田東4丁目3〜4番地(現存せず)
【参考資料】
『残すべき建築』松隈 洋著、誠文堂新光社、2013年

2013年3月10日、12日撮


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