酒々井
しすい

城下町から宿場町へ

酒々井は佐倉城移転前の城下町であり、江戸時代には成田街道の宿場町となりました。街道沿いに点在する商家が往時の繁栄ぶりを伝えます。

【1】成田街道です。16世紀末、当地の本佐倉城が廃されると同時に、城下町は宿場町として再整備されました。
【2】酒々井には寺社建築以外に江戸時代の建物が現存しませんが、明治・大正期の古い商家は残っています。
【3】家の前に広場があります。宿場町時代の土地利用の名残りでしょうか。かつてはここに馬をつなぎとめていたのかもしれません。

酒々井には室町時代、千葉氏の居城の本佐倉城が置かれ、城下町が形成されました。江戸時代に佐倉城が築かれると本佐倉城は廃されましたが、酒々井はその後成田街道の宿場町となり、賑わいを見せるようになります。現在の京成酒々井駅の西にはかつて印旛沼があり、そこに築かれた港は物資集散の拠点にもなりました。


酒々井宿の町並み


本2階ての商家

戦後の高度経済成長期には駅周辺で宅地開発が進み、東京のベッドタウンとして人口は急増しました。しかしJR総武線と京成本線の間を走る成田街道には古い家並みが残され、酒々井の歴史をいまに伝えています。

酒々井の町並みのハイライトが、並び建つ島田本家と島田分家です。本家は1877(明治10)年ごろに建てられたツシ2階建ての商家。江戸時代には幕府野馬御用を務めた由緒ある家で、明治期に呉服・太物・足袋を売る小売店になりました。その隣には明治前期に分かれた分家があり、灯油製造を行った古い屋敷が残っています。


島田分家


島田本家

酒々井の町並みは断片的ですが、質の高い民家が多いことが特徴で、主屋に負けない大きな土蔵も目につきました。この歴史的風致をいつまでも大切にしてもらいたいと思います。


【住所】千葉県印旛郡酒々井町酒々井
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(12)千葉県』角川書店、1984年

2014年3月29日撮


戻る