下根岸・百目木
しもねぎし・どうめき

なぜ正面にこだわるのか

利根川に次ぐ千葉県第二の川、小櫃(おびつ)川。その蛇行部にある下根岸と百目木に、長屋門や土蔵をもつ古い農家が点在しています。

【1】小櫃川の川面が見えます。洪水にそなえ、このあたりの家は盛土の上に築かれています。
【2】農家の多くが長屋門をもちます。長屋門は単なるステータス・シンボルではなく、納屋を兼ねていました。
【3】画面手前の表通りから長屋門まで、100メートル近いアプローチの道が引かれています。

東京湾に注ぐ全長80キロの河川、小櫃川が流路を90度変えるところに、2つの集落があります。左岸が下根岸、右岸が百目木で、いずれも幕末以降の古い農家を多く残しています。


N家住宅のジョウボ(下根岸)

袖ケ浦の屋敷の多くは、街道から前庭を挟んで数十メートル後方に建てられました。街道と主屋を結ぶ道は「ジョウボ」と呼ばれ、袖ケ浦の民家の大きな特徴となっています。
おもしろいのは、ジョウボはどの道に向けても引かれるものではなく、必ず主たる街道から引かれているということ。100メートル近いジョウボをもつN家住宅は、屋敷のすぐ裏手(北西)の小道を無視するかのように長屋門を南面させ、そこから表通りまで一直線にジョウボを引いています。

なぜこれほど正面性にこだわるのか、参考資料でも考察されていないため分かりませんが、あたかも神社の参道のような凛とした雰囲気を漂わせています。ちなみにN家のジョウボは創建時はいまより短かく、小櫃川の河川改修で長く伸びたそうです。
ジョウボの先にはたいてい、長屋門が建っています。袖ケ浦では江戸時代から長屋門を構える家が多かったらしく、門は納屋としても使われました。


N家長屋門。川沿いの低地のため盛土をしている(下根岸)


Y家住宅の長屋門(下根岸)

 


S家住宅。右側にトボグチが開く(百目木)

袖ケ浦の民家の特徴が、正面の左右どちらかに「トボグチ」と呼ばれる日常の出入口を設けていること。18代を数える百目木のS家は、幕末から明治初期にさかのぼる建物ですが、向かって右側にトボグチがあります。表側のそれ以外の部分は座敷の縁側となっています。

また、古い家は分棟型で、台所の設備を主屋から分離して別棟の「カマヤ」を建てたり、納屋、便所、隠居屋などを主屋の周囲に配するのが一般的でした。これらは袖ケ浦に限らず、全国で共通する屋敷構えですが、S家のある百目木地区にはトタンで修復された茅葺きの旧家が密集し、昔ながらの里の景観をよく残しています。


長屋門がきれいに修復されていた(百目木)


田園地帯に低層の寄席棟民家が散在する(百目木)


トタン被覆の茅葺き民家が見られる(下根岸)


水を張ったばかりの水田に古民家が浮かぶ(百目木)


残念ながら傷みの激しい納屋も多かった(下根岸)


【住所】千葉県袖ケ浦市下根岸、百目木
【公開施設】なし
【参考資料】
『袖ケ浦市史基礎資料調査報告書(5)袖ケ浦の建造物[民家]』袖ケ浦市教育委員会、1995年

2014年4月10日撮


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