佐原
さわら
柳ゆらめく河港
東京都心から東へ70キロ。かつて利根川の舟運で栄え「小江戸」と呼ばれた佐原には、往時の繁栄ぶりをしのばせる商家がずらりと並んでいます。 |
【1】佐原の中心を貫く小野川。元文年間(1736〜40年)、洪水により利根川の流れが佐原に近くなると、舟運の便が格段によくなり、あたりは河港都市として栄えました。 |
南北に流れ、利根川に通じる小野川と、東西に走る香取街道。両者の交点に位置する佐原は、水上・陸上交通の要衝として大いに栄えました。 町並みは川沿いと街道沿いで微妙に異なります。川沿いには「だし」と呼ばれる荷揚げ用の階段が設けられ、河岸問屋や旅人宿などが並びました。物資の集散地だったことから酒などの醸造も行われ、市街地ではいまも酒蔵が見られます。 |
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国指定史跡、伊能忠敬旧宅。建築年不明 |
佐原での酒造は寛文年間(1661〜73)に伊能家が始めました。それからおよそ100年後、実測地図の制作で知られる伊能忠敬(ただたか)が家督を継ぐと、傾きかけていた伊能家の酒造業を再興し、さらに金融業などにも手を出して同家の稼業をもり立てました。 |
忠敬旧宅の前には樋橋(とよはし)が架かっています。その名の通り周囲の田に水を運ぶ水道橋として架けられました。現在の橋は1992年の再建で、このとき往時の導管が復元され、日中30分おきに落水するパフォーマンスを見せるようになりました。 |
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与倉屋大土蔵 |
舟運に適した土地らしく、佐原には大型の蔵や倉庫もたくさん残っています。左写真は1889年(明治22年)の与倉屋大土蔵。現在はコンサートやシンポジウムの会場として活用されています。 |
運送に関わる商家が連なる小野川沿いに対し、香取街道沿いには卸・小売店が並びました。家並みは平入り商家が中心で、妻入りの多い小野川沿いとは好対照。中には蔵造りの商家も見られますが、これらは1892(明治25)年の大火後に普及した様式だそうです。黒塗りの外観と正面に葺き下ろした下屋庇が一列に連なるさまは見事で、とても見ごたえがあります。 |
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洋風建築が多いのも香取街道の町並みの特徴 |
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2007年10月6日、14年3月29日撮影 |