大多喜
おおたき
南総の小江戸
中世以来の城下町である大多喜は、房総半島の横断ルート上にあることから、交易上も重要な町でした。江戸時代初期には房総半島一栄えたといわれ、往時の繁栄をしのばせる商家が連なっています。 |
【1】妻入りと平入りが混在する商家の町並み。 |
大きく蛇行して流れる夷隅(いすみ)川に三方を囲まれた大多喜は、まさに天然の要害というにふさわしい土地。大多喜城が築かれたのは戦国時代のことで、江戸時代には徳川家康の側近・本多忠勝が入城し、城下町の整備が進みました。 城下を走るメインストリートが大多喜街道。途中で三度も直角に折れ曲がり、防衛を重視した城下の町づくりを見ることができます。 |
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また、大多喜は房総半島南部の交通の要衝にあったことから商家や旅籠、醸造所が軒を連ねるようになりました。いまも往時の雰囲気をよく残し、「南総の小江戸」として観光PRを行っています。 |
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町並みの北にある国の重要文化財、渡辺家住宅は嘉永2(1849)年の建築。大多喜藩の軍用金御用達を務めた家です。 この並びにある伊勢幸酒店、向かいに建つ土蔵造りの商家・釜屋、さらに南の豊乃鶴酒蔵、大屋旅館なども江戸〜明治時代の建造物。いずれも当時としては珍しい、豪壮な本2階建て建築となっています。 |
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国登録有形文化財、伊勢幸酒店。1873(明治6)年ごろ |
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蔵造りの商家、釜屋 |
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2010年5月22日撮影 |