宮小路
みやこうじ
土塁が守る武士の家
JR佐倉駅と京成佐倉駅の間に横たわる城下町・佐倉は、2代将軍・徳川秀忠の側近、土井利勝の佐倉入城とともに整備されました。往時の面影をよく残すのが武家町の宮小路で、佐倉市屈指の歴史的景観を伝えています。 |
【1】この道が宮小路。佐倉城から連なる高台の尾根を走っています。 |
佐倉歴史地区は東西に伸びる尾根上に展開します。尾根の最も西に佐倉城があり、その東に武家町が、さらに東に町人地が続いていました。宮小路は関東地方に現存する最大の武家町で、道の両側に何軒もの武家屋敷が見られます。 |
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道の両側に土手が延びる |
佐倉藩の武家の居住制度は天保4(1833)年に定められ、身分に応じて家のつくりが細かく規定されていました。全体の特徴は、宅地の道路側に土手を築き、そこに生垣を植えていること。これによって統一感のある町並みが生まれました。土手や生垣は防衛上のもので、道を行く馬上から家の様子が見られないようにするためのものです。 |
尾根上の町ゆえ、宅地の後方は竹林の斜面となっていますが、この斜面も敵の侵入を拒んだのでしょう。 宮小路は全長250メートルほどの小さな区画で、西は高崎川へ抜けるひよどり坂、東も崖に突き当たったところで丁字路になっています。地形を巧みに利用し、坂道や分岐が多いのも、防衛を重視した城下町の特徴です。 |
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旧但馬家住宅。公開3軒のうち唯一、移築ではない |
現地のパンフレットには「宮小路には5軒の武家屋敷が並ぶ」と書かれていましたが、実際に歩いてみたところ、それより多くの武家屋敷があるように見受けられました。 |
現在も居住されている家。おそらくかつての武家住宅だろう |
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2014年3月29日撮影 |