金谷
かなや

房州石の記憶

江戸時代から採石が始まった鋸(のこぎり)山のお膝元に金谷の集落があります。そこには房州石を惜しげもなく使った町並みが展開しています。

【1】金谷のシンボルが、地元産の石で築かれた塀や蔵です。
【2】金谷石の塀の内側に、伝統的な日本家屋が散見されました。
【3】町の背後にそびえるのが鋸山。かつて石が切り出され、金谷から船で江戸に運ばれました。

金谷は江戸時代から採石が始まった房州石の産地です。房州石は加工しやすく耐熱性にすぐれているため、建築資材や竃(かまど)に使われました。また、開国後は海外にも輸出されるようになり、主にパン窯用として使われたそうです。房州石を産した山の麓に、見事な「石の町」が築かれています。


カーブを描く石塀

見事な直方体の石蔵

房州石はいろいろな模様をもつ表情豊かな石だ

金谷はもともと漁村でしたが、採石がピークを迎えた明治〜大正時代に商港となりました。その当時に築かれた石塀や石蔵は、いまも金谷のシンボルです。白いまだら模様をもち、ところどころに苔を生やした房州石が、独特の風合いを見せています。


しっくいの目地が美しい


トタンで覆われた茅葺きの家


【住所】千葉県富津市金谷
【公開施設】なし
【参考資料】
『日本の文化的景観』文化庁文化財部記念物課監修、同成社、2005年

2010年5月22日撮


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