堀江・猫実
ほりえ・ねこざね

夢の国の陰で

堀江・猫実界わいを歩けば、いまも古き良き浦安の風情に浸ることができます。茅葺きの漁家、下見板張りの商家、空地と井戸……。ようこそ、懐かし要素でいっぱいの浦安の路地裏へ。


【1】堀江・猫実は、もしかしたら東京都心にいちばん近い茅葺き民家地帯かもしれません。今回、文化財指定のものも含め5軒確認できました(うち4軒はトタン被覆)。
【2】井戸があります。魚貝や漁具を洗ったり、海苔づくりをするのに不可欠でした。
【3】もとは茅葺きの家だらけだった堀江・猫実にも、大正以降は瓦葺きの家が増えました。それらの多くは下見板張りで、茅葺きの家とはまた別の味わいをかもし出しています。

湾岸の巨大リゾートが浦安の顔となったのは、ここ30年ほどの話。12世紀の集落成立から800年以上、浦安は一貫して漁村であり続けてきました。
その風情を色濃く残すのが境川両岸。南岸の堀江、北岸の猫実では、新築の戸建て住宅の間に古い家をみとめることができます。


境川。左が猫実、右が堀江

旧大塚家住宅は茅葺きでありながら天井を張る

堀江・猫実では湾岸地帯ならではの建築様式を見ることができます。それが2階建ての茅葺き民家。高潮や洪水にそなえて2階を設け、そこに家財道具などを避難させました。
茅葺きの家はふつう天井を張りませんが、浦安では2階をこしらえるため天井を張っています。この浦安独特の工法は、千葉県の有形文化財に指定されている幕末の旧大塚家住宅で確認できます。


旧大塚家住宅の外観

堀江・猫実には平屋の茅葺きも点在しています。そのうちの1軒、右写真の家は前面にずらりと板戸を並べ、すべて外せば開放的な出入り空間を確保できるようにしています。創建当初からこうした姿だったのか定かではありませんが、漁網などを出し入れする漁家の特徴をよく表しています。
訪れた日も周囲にバケツや発砲スチロールが散らばっていて、いまも鮮魚を扱う商売をなさっているような雰囲気でした。


トタンで覆われた茅葺きの漁家建築


小ぶりの茅葺き(トタン被覆)民家

左は路地裏で見つけた小ぶりの茅葺き民家。一見、納屋のようでもありましたが、つくりがしっかりしていることから、最初から住居として建てられたものだと思います。
それにしても、中には2部屋しかないのでは? どんな間取りなのか見学してみたいものです。

堀江・猫実には漁家だけでなく、町家風の家も残っています。最たるものが明治2(1869)年の旧宇田川家住宅。オモテ側が店舗になっていて、かつて米屋や呉服屋などを営んでいました。


旧宇田川家住宅


旧濱野医院

旧宇田川家住宅のある道は堀江フラワー通りといい、ちょっとした商店街になっています。道の途中には木造の商店や銭湯、入母屋造りの玄関をもつ和館などが点在し、古き昭和の雰囲気を残しています。
そんな道沿いで異彩を放つのが旧濱野医院。浦安で初めて建てられた洋風建築で、1929(昭和4)年の築といいます。いまは子育て支援センターとして第二の人生を歩んでいますが、職住一体型の懐かしい雰囲気の医院建築です。

堀江フラワー通りはかつて浦安のメインストリートでした。道に並行する境川は多くの漁船が停泊する港であり、魚市場もあったそうです。1969(昭和44)年に地下鉄東西線の浦安駅が開業すると、商業・経済の中心が移り、新たな市場が駅前に建てられました。
また、折から東京湾の水質汚染に悩まされていたこともあって、1971(昭和46)年には漁業権を完全放棄。これにて漁師町・浦安の歴史に終止符が打たれました。


両脇に真新しい戸建住宅をしたがえた古い商家。浦安らしい町角

境川近くにあった本2階建ての茅葺き民家


ところどころに空き地があり、それを囲むように家が建てられている


【住所】千葉県浦安市堀江2〜4丁目、猫実3〜4丁目
【公開施設】旧大塚家住宅、旧宇田川家住宅、旧濱野医院

2003年4月18日、13年11月30日撮


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