行徳
ぎょうとく

100年前のショーウィンドウ

市川市の行徳街道には出桁(だしげた)造りの江戸風商家が見られます。「町並み」というほど連続性はないのですが、窓枠や戸袋に彫刻を施した華やかな家が見られます。

【1】行徳は建具、畳、船など、様々な職人が軒を連ねたものづくりの町。1階に作業場があり、大きなガラス戸は店内の様子を見せるショーウィンドウを兼ねています。
【2】全体的に柱や梁が太く、がっしりとした印象を与える商家が多いようです。
【3】行徳の伝統産業の中で広く知られているのが神輿制作です。写真はその1軒の後藤神輿店。窓枠や戸袋に見える彫刻は、家主が自らつくったものでしょうか。

地下鉄東西線沿線は新興住宅地として人口が急増中。市川市には南行徳、行徳、妙典(みょうでん)と3つの駅がありますが、このうち南行徳と妙典は全線開通後に開業した新しい駅です。
しかし宅地開発が進む湾岸とは反対側、旧江戸川に近いエリアには、行徳の歴史をいまに伝えるスポットがたくさんあります。


行徳街道

常夜灯

メインストリートの行徳街道は成田街道に通じています。江戸時代、成田山詣での人々は江戸市中から船で行徳まで渡り、ここから街道を歩きました。当時の船着場には、日本橋の講中が交通の安全を祈願して成田山に奉納した常夜灯が残されています。文化9(1812)年に建てられたもので、高さは4.31メートルもあります。

常夜灯のある船着場跡から行徳街道に進んで最初に見えてくるのが、ツシ2階の古風な建物。「笹屋うどん」の店舗で、街道を往来する旅人が必ず立ち寄ったといわれる店です。笹屋うどんは数々の紀行や川柳に読まれましたが、「出ますよと笹屋に船頭声をかけ」などは、ここが船の待合も兼ねていたことを彷彿させますね。
ちなみに現在の建物は、うどん屋を営業していた当時(嘉永7=1854年)のものだそうです。


旧笹屋うどん

旧浅子神輿店

行徳は寺町でもあり、古くから仏師や宮大工が集まったことから、地場産業として神輿製作が興りました。現在、その流れをくんでいるのは1軒だけとなりましたが(有限会社中台製作所)、行徳街道沿いには2つの旧神輿店が残っています。
そのうちの1軒、旧浅子神輿店は1929(昭和4)年の建築。2階側面の庇の意匠などを見るに、神輿職人が建築装飾も手がけたことがうかがえます。かつては1階のガラス戸越しに神輿が見られましたが、残念ながら2007年に当主が亡くなり廃業されました。


旧浅子神輿店


行徳寺町

行徳の神輿店は、細部の意匠もさることながら、1階正面を全面ガラス戸としているのも大きな特徴。内部の製作工程や完成品を見せるためのショーウィンドウを兼ねているのです。神輿店のほか、街道筋の畳店(右写真)でも大きなガラス戸がはめられていました。


行徳街道に面する畳屋も大きなガラス戸をもつ

加藤家住宅

行徳は「古い町並み」といえるほど町家が連続していないのですが、ところどころに立派な民家が残っていて驚かされます。旧浅子神輿店の並びにある加藤家住宅は、江戸末期〜明治初期に建てられたと伝わる邸宅。特徴的なむくり屋根の玄関は、浅子神輿店でつくられたものだそうです。


【住所】千葉県市川市本行徳、関ヶ島、伊勢宿、湊、湊新田
【公開施設】なし

2003年4月18日、13年11月30日撮


戻る