三富
さんとめ

大地に描く縞模様

所沢市と三芳町にまたがる三富は江戸時代に開拓された地域。広大な土地に畑や屋敷林が点在する武蔵野らしい風景が、4キロ四方にわたって見られます。

【1】このあたりの土壌は関東ローム層の赤土で、耕作には不向きでした。開拓に入った農民たちは堆肥を混ぜ、土を豊かにしました。
【2】畑の境目には茶を植えました。茶は換金作物であると同時に、畑の風除けにもなりました。
【3】屋敷はこちら側にあります。冬の季節風で畑の土が巻き上げられるため、屋敷の周囲に木立をつくっています。

三富は江戸時代初期の開拓事業で成立した上富、中富、下富の3新田の総称で、現在は上富が三芳町、中富と下富が所沢市に所属しています。この地域には開拓時のままの土地割が保存されていることから埼玉県の旧跡に指定されており(指定名は三富開拓地割遺跡)、すぐれた農村景観を見ることができます。


道の両側に屋敷林が続く(上富)

屋敷林の背後は一面の耕作地(中富)

特徴的な地割(上富) (C)NTT空間情報/Yahoo Japan

三富の土地割は非常に特徴的。1軒の土地は面積およそ5ヘクタール(5町歩)で、幅72メートル(40間)、奥行き675メートル(375間)の極端な長方形をしています。屋敷は土地の最前部に構え、その後方を耕地、最後尾を雑木林としました。三富には同じ形、同じ広さの区画が整然と並び、航空写真で見ると一目瞭然!

ところが三富新田の中に足を踏み入れると、土地のスケールが大きすぎてどうにも要領を得ません。数少ない俯瞰ポイントのひとつが、関越自動車道を越える陸橋の東草橋(三芳町上富)で、屋敷林と耕作地からなる短冊状の土地を何とか確認できます。


東草橋からの眺め(上富)


屋敷林に身を隠すように家がたたずむ(下富)


江戸期から当地の名物であるサツマイモが植えられている(下富)

旧島田家住宅の土間(上富)

三富には古民家も多く残されています。一般公開されている旧島田家住宅は文化・文政年間(1804〜29年)の建築で、1キロほど南東の旧地から移築保存されました。主屋は敷地の半分以上が土間で、座敷部もほとんどが板の間(畳敷きは1室)という古風なつくりが印象的です。


旧島田家住宅(上富)
このほか平屋やツシ2階建ての古い農家建築や長屋門などが、三富の各地に散在して残されています。


立派な屋敷構え。かつての名主だろうか(中富)


トタンで覆われた茅葺きの家(中富)


この家は屋敷林が美しかった(下富)


島田家長屋門(上富)


島田家主屋(上富)


【住所】埼玉県入間郡三芳町上富/埼玉県所沢市中富、下富
【公開施設】旧島田家住宅
【参考資料】
パンフレット「三富新田の開拓」三芳町教育委員会文化財保護課・三芳町立歴史民俗資料館、2014年(改訂版)

2014年10月10日撮影


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