野上下郷
のがみしもごう

呼吸する家

野上下郷には「高窓」と呼ばれる小屋根をいただく家がたくさんあります。高窓は2階の蚕室に新鮮な空気を取り込むために欠かせない装置でした。

【1】養蚕農家では2階を蚕室としました。屋根に乗った小屋根は「高窓」と呼ばれ、蚕室を換気しました。
【2】高窓の数や大きさは家ごとに異なります。このお宅では2つ並べています。
【3】これは納屋ですが、同じく蚕室の証である高窓が見えます。主屋と納屋の2階部分は渡り廊下で連結されています。これは作業効率を考えてのことでしょう。

1972(昭和47)年に長瀞町と合併した旧野上町は、養蚕と絹織物製造の盛んな土地で、秩父銘仙の主要な産地でした。その中西部に位置する野上下郷は、荒川沿いに秩父往還が通り、山間部にいくつもの沢筋が見られる地域。ここに多くの養蚕農家が残されています。

野上下郷の養蚕農家の特徴は、主屋と納屋の両方に蚕室をもち、両者が渡り廊下で結ばれていることです。右写真の林家住宅はその好例。1890(明治23)年の建築で、集落内でもとくに規模の大きな家です。


林家住宅。主屋(左)と納屋の蚕室が結ばれている

主屋と納屋を連結した家


野上下郷の養蚕農家。長屋門を構える


野上下郷の家並み


主屋と納屋が向かい合う

 

 

右の家は明治後期に建てられた新井家住宅。秩父屈指の種屋(蚕の卵を扱う業者)だった秩父蚕種(さんしゅ)という会社を操業した家です。かつて敷地内には7、8棟の蚕室が連なり、各棟が渡り廊下で連結されていたそうです。


新井家住宅

典型的な養蚕農家。2階には通路として使ったバルコニーがある

旧野上町は養蚕農家の宝庫で、ここ野上下郷とお隣の矢那瀬にとりわけ多く残されています。両者を比べると、矢那瀬は平地、野上下郷は谷筋と、景観が異なります。
養蚕農家の象徴である高窓も、矢那瀬では数が少なく、対照的に野上下郷ではほとんどの家に載せられています。野上下郷は谷間の低湿地であるため、よりたくさんの換気口を開ける必要があったのかもしれませんね。


小屋根も瓦葺きでしっかりつくられている

大きな高窓をひとつだけもつ家も多い


高窓を3つ載せた家もある


【住所】埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷
【公開施設】なし
【参考資料】
「シリーズ埼玉の住まい(29) 荒川とともに 長瀞町 皆野町」伊豆井秀一著、『smile通信』52号(2013年7月)所収

2014年4月2日撮影


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