見沼
みぬま

武蔵野しのぶよすが

見沼はさいたま市見沼区から緑区にかけての広域地名。東京にいちばん近い田園地帯として知られ、水路と耕地、農家が点在しています。

【1】ここに農業用水の見沼代用水東縁(みぬまだいようすい・ひがしべり)が流れています。用水路は周辺農地よりも高い「天井川」です。
【2】かつては一面の田んぼでしたが、現在はほとんどが畑になっています。
【3】雑木林のあるところに家が数軒集まり、小規模な集落を形成します。

見沼といえば「見沼田んぼ」。総面積1260ヘクタールにもなる首都圏最大の田園地帯といわれ、田畑とともに雑木林や用水路がよく残されています。しかし「田んぼ」とはいうものの、今日の見沼では水田はほとんど見られません。国の減反政策により、昭和50年代に畑へ転用されたためです。


現在の見沼田んぼは一面の畑地だ

見沼代用水東縁は周辺農地より高い天井川

もともと湿地帯だった見沼で開拓が始まったのは寛永6(1629)年。土手を築いて溜池をつくり、灌漑用水池ができたのがきっかけでした。享保12(1727)年には新たに利根川から水を引いた見沼代用水が完成しました。この水路の全長は実に60キロ。関東平野最大の農業用水で、埼玉県の東部から南部にかけての地域を灌漑しました。
用水路は上尾市の堰で東縁(ひがしべり)と西縁の2本に分岐します。今日、田園風景をよく保存する見沼自然公園の一帯には東縁が流れています。

見沼には古民家も多く残されていて、長屋門や薬医門をもつ大型農家が目につきます。このうち深井家長屋門は弘化元(1844)年の棟札をもち、市指定有形文化財となっています。


深井家長屋門

A家長屋門


古い家が多く残っている


旧坂東家住宅は寄棟造りの茅葺き古民家

旧坂東家住宅は安政4(1857)年に建てられた茅葺きの古民家。坂東家は見沼・加田屋新田の開発にあたった旧家で、この建物には細かな装飾の施された座敷があり、往時の家格をしのばせます。


座敷には細かな装飾の施された付書院がある

茅葺きの家は旧坂東家のみですが、周辺には同型の寄棟平入り民家が多く残されています。それらが屋敷林をもつのは、冬の季節風の影響を抑えるためでしょう。
そういえば当地の畑には敷地境界に沿って茶が植えられています。これも茶葉の収穫用というよりは、風除けを兼ねた植栽なのかもしれません。


畑の境界には茶が植えられている

県道沿いにたたずむ古い家。屋敷林を構える

土蔵をもつ家も多い


左の屋敷を正面から見る


【住所】埼玉県さいたま市緑区上野田、代山、寺山、見沼区加田屋、染谷
【公開施設】旧坂東家住宅(見沼くらしっく館)
【参考資料】
『歴史散歩(1) 埼玉県の歴史散歩』山川出版社、2005年

2012年11月4日、14年11月5日撮影


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