小平
こだいら
蚕のための家
小平は換気用のやぐらを乗せた蚕種(さんしゅ)・養蚕農家が多いことから「高窓の里」と呼ばれます。高窓は、蚕にとって最適の環境を維持するために欠かせない装置でした。ここでは人の暮らしより蚕を優先した家づくりが行われてきたのです。 |
【1】蚕は熱に弱いため、蚕室(飼育場)は常に換気する必要がありました。そこで考案されたのが高窓です。 |
一言で「養蚕」といっても、実態は作業工程ごとに大きく3つに分業されていました。品種改良や卵の生産を行う蚕種(さんしゅ)業、卵から繭まで育てる養蚕業、繭から生糸をつくる製糸業です。明治維新後は富岡製糸場に代表されるように、製糸業は工場で行われるようになりましたが、蚕種業と養蚕業は農家が兼業するのが一般的でした。(ただし専業の蚕種家・養蚕家も存在しました) |
小平の養蚕農家群 |
3つの高窓をもつ家 |
蚕種業や養蚕業を営む農家では、主屋や納屋の2階が蚕室(飼育場)になりました。これらの家では、暑さに弱い蚕を守るため、換気用のやぐら(高窓)が乗せられています。小平は高窓の家が多く残る地域のひとつで、とくに東小平集落に多く、今回の散策では9軒で見られました。 |
「高窓」には大きく2種類あります。大棟全体にわたり「総やぐら」と呼ばれるものと、小さなものを2、3乗せたものです。聞けば、総やぐらは蚕種家に、小さなやぐらは養蚕家につくられているのだとか。理由は分かりませんでしたが、とても興味深い傾向ですね。 |
小平の総やぐら。役目を終え、開口部は塞がれている |
中央の納屋は開放的。蚕室だったのかもしれない |
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主屋に直交して付属屋を建てる家が多い |
養蚕が盛んな地域では、蚕は単なる虫ではありません。お蚕さま(おこさま、おかいこさま)という呼び方からも、いかに大切に扱われてきたかが分かります。ひとたび飼育が始まると家族の生活は家の一隅に追いやられ、それ以外の部屋では何千匹という蚕が育てられました。家のつくりようも、一家の暮らしも、すべては蚕を優先してきたのです。 |
なお、小平には東日本に特有の「さざえ堂」のひとつである成身院(じょうしんいん)百体観音堂があります。現在の建物は1910(明治43)年の再建。外見は2層、内部は3層という一風変わった建築なので、合わせて見学されることをオススメします。 |
百体観音堂。鰐口は日本最大とされる |
百体観音堂最上層。天井画がよく残る |
2015年1月25日撮影 |