原市
はらいち

市場集落のかたち

原市はその名の通り市が開かれた町。街道沿いの家々には、江戸時代に露店が立った前庭が残されています。

【1】間口12間もの長大な長屋門は、原市の名主・矢部家住宅の門です。
【2】原市には建ちの低い町家建築や蔵造りの商家が多く残っています。
【3】町家の前の広場は「広庭」と呼ばれます。江戸時代、毎月3・8の付く日にここに市が立ち、主に穀物が取引されました。

原市は江戸時代、隣村の原村(吉野原村)の市が立った場所で、そのことから「原市」「原宿」などと呼ばれるようになりました。地区内には北西から南東へ、ほぼ一直線に県道5号線が貫通していて、それと並行して旧道が走っています。この旧道沿いがかつての市場集落です。


かつての造り酒屋、田中屋酒店

原市の町並みは、家と道路の間に幅5メートルほどの空間をもつのが特徴。「広庭」と呼ばれ、江戸時代にはここに露店が立ちました。
戦後、上尾市は東京のベッドタウンとして人口が急増し、原市にも埼玉新都市交通の駅ができましたが、旧道はほぼ昔のまま残り、両側には古い商家が連なっています。


田中屋酒店の蔵群


たくさんの土蔵を建てるM家住宅

原市の賑わいは明治時代、上尾駅が誕生し、その周辺に中心市街地が形成されたことで失われました。かつて市が立った広庭は、そのままのかたちで残された場所もありますが、ほとんどは家の前庭として塀や生垣で取り込まれてしまいました。


広庭を前庭とした土蔵造りの家

矢部家長屋門

この町並みで目をひくのが間口12間もある矢部家の長屋門です。同家は原市の名主を務めた旧家。長屋門は部分的に増築されていますが、広庭ともども良好に保存されていました。


長屋門からのぞく矢部家主屋


昔のままに広庭を残す商家


【住所】埼玉県上尾市原市
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(11)埼玉県』角川書店、1980年

2014年4月2日撮


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