野門
のかど
軒を見上げれば
野門は「家康の里」をうたう集落。戊辰戦争の混乱期、日光から「家康御神体」が当地に移されたことにちなむ呼称です。そこにはいま、せいがい造りの重厚な民家が軒を連ねていました。 |
【1】入母屋造りの大型農家が軒を連ねます。民宿を営んでいる家も多く、総戸数の半数以上にあたる13戸が営業しています。 |
旧栗山村の西部、県道から1キロほど脇へ入ったところにあるのが「家康の里」をうたう野門集落です。山あいの狭い土地に重厚な民家が並び、いまではほとんどが民宿を営む小集落です。 |
野門集落全景 |
栗山東照宮 |
ここが歴史の表舞台に登場するのは意外と新しく、1970(昭和45)年のこと。この年、集落に栗山東照宮が創建されました。御神体は「男体山三社神体」と「徳川家康御神体」。いずれも日光東照宮境内の宿坊が保管してきたもので、戊辰戦争のころ、会津方の手により野門へ“避難”させられたものです。 |
野門には茅葺きの家が多く残っていますが、いまはみなトタンで覆われています。軒下をせいがい造りとするのは、耐久性を高めるため雪国で見られる造作。本来は一般庶民に許される形式ではなかったため、野門の家は明治以降に建てられたものが多いのかもしれません。軒の深さは1メートル以上あり、中には2階建ての民家も見られます。これらがすべて茅葺きだったら……。そんな、昔日の集落景観に思いを馳せる訪問となりました。 |
せいがい造りの民家。軒は1.5メートルはあるだろうか |
2階建ての家も数棟見られた |
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2014年10月12日撮影 |