中才
なかさい

規格化された住居群

中才は足尾銅山に勤務する人たちの社宅街として開発されました。閉山後のいまも30棟以上の社宅が現存しています。

【1】規格化された切妻長屋がびっしり並びます。それぞれの家は3〜4世帯に区切られています。
【2】住戸内にトイレはなく、屋外に共用トイレがつくられました。
【3】背後に採鉱施設がのぞきます。これは採掘された鉱石を選別し、精錬所に送った通洞選鉱所。中才は足尾の文化的景観の中にたたずんでいるのです。

戦国時代に銅鉱が発見された足尾では、江戸時代以降本格的な採鉱が行われるようになり、17世紀後半には年間1300トン以上を産出。「足尾千軒」といわれるほどの繁栄を誇りました。銅山は1877(明治10)年、古河(ふるかわ)市兵衛が買収。以後、近代化が進められ、足尾には銅山を中心とする一大産業都市が築かれました。


傾斜地に長屋が連なる中才鉱山住宅

中才には30軒以上の鉱山住宅が現存

古河市兵衛が設立した古河鉱業(現・古河機械金属)は、足尾一帯に採掘、選鉱、精錬などを行う設備を建設し、それぞれの作業場の近くに社員住宅をつくりました。中でも最大規模の社宅街が中才にあります。鉱山は1973(昭和48)年に閉山しましたが、いまなお30棟以上が現存しています。

社宅は平屋の長屋で、1棟が3〜4世帯分に区切られています。内部は寝起きするための部屋しかない様子で、流しは玄関の外に、トイレは共用のものがやはり屋外に設けられています。また、社宅街には集会場や共同浴場、店舗も建てられ、ひとつの町として整備されていました。


簡素なつくりだが、窓には手すりが設けられている


屋外にある共用トイレ


路地裏に共同の流し場もあった


煙出しをもつ中央の建物が共同浴場


社宅街には商店もある
   
中才の鉱山住宅はいまも住宅として使われていますが、過疎化はかなり進んでいるようです。偶然通りがかった方も「空き家が増えている」と話していました。「いまなら1棟まるごと借りても月々2000円だよ」とも言われましたが、仕事のことも考えると気安く転居するわけにはいきません。
(あ、いや、車があれば都内まで2時間ちょいだから、暮らせないことはないかも。でもやっぱり厳しいですね……)


渡良瀬川を挟んで中才の対岸の砂畑鉱山住宅。9棟の長屋が並ぶ

これほど大規模な炭鉱住宅地は九州の筑豊炭田にも残されておらず、全国的にもたいへん貴重なものだと思うので、何とか保存・継承してもらいたいとは思いますが……。
足尾銅山の関連遺産は日光市が保存やPRに力を入れているので、行政に期待したいと思います。


【住所】栃木県日光市足尾町中才
【公開施設】なし
【参考資料】
パンフレット「足尾銅山近代化産業遺産MAP」日光市教育委員会、2013年(第5刷改訂版)

2013年10月13日撮影


戻る