た き

旧習の里

福島県中央部に位置し、会津と郡山を結ぶ街道上にある滝の集落。かつては道の真ん中を用水路が流れ、両側に旅籠が並ぶ宿場町でした。いまも規則正しく並ぶ妻入りの家並みに、宿場町時代の面影がみとめられます。

【1】集落には入母屋・妻入の建物が規則正しく並び、宿場の面影をとどめています。屋根こそ瓦葺きやトタン葺きですが、集落の構成は大内宿に似ています。
【2】家々の敷地は奥行きの長い「うなぎの寝床」。最も奥に蔵があります。
【3】この道が、長沼と会津を結んだ街道。昭和40年代までは道の中央に水路があったそうです

福島の「へそ」ともいえる交通の要衝、旧長沼町(現・須賀川市)。かつて旧長沼町からは各方面に街道が伸びていました。そのうちのひとつが会津と中野(現・郡山市)を結ぶ街道です。街道沿いに歩き、長沼を出て最初に出合う集落が、旧岩瀬村(現・須賀川市)の滝でした。


妻入の家が並ぶ町並み


地区のほぼ中心に蔵造りの家があった

滝は会津方面への物資輸送の拠点として賑わい、いまも街道両側に家々が規則正しく並んで、宿場町の面影を色濃く残しています。住民によると「現存するいちばん古い家は築100年」とのことです。
ところで滝を訪れた日、こんな話を聞きました。
「むかしむかし、一人の山伏がこの宿場を通りすがり、舎利や不動尊像を納めた笈(おい)を村人に渡した。村人たちはありがたがって、隣の家へ、そのまた隣の家へと、一軒一軒ぐるぐる回していったが、しばらくしてこの習慣をやめた。すると集落に疫病が流行り、子どもが亡くなってしまう。慌てた村人たちは、ふたたび笈を回し始めた」

笈はいまでも(2013年6月現在)滝の家々を回っているそうです。まるで、回覧板のように……。
とても興味深い話ですが、「なぜ山伏が大切な笈を残して旅立ったのか、それはいつのことなのか」「なぜ、いったん笈を回すのを止めたのか」など、謎もいっぱい。いずれ再訪して話を聞いてみたいですね。


裏手に回れば蔵がずらり

左の建物は一見、茅葺きの井戸のようでしが、最近つくったバーベキュー用のコンロの屋根とのこと。それにしても火の元が心配です。


入母屋造りの平屋が多かった


地区の最南端に馬頭観音が祀られている


【住所】
福島県須賀川市滝
【公開施設】なし

2013年6月2日撮影


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