小田付
おたづき

三色の町並み

小荒井(ふれあい通り)とともに、喜多方屈指の蔵の町として知られる小田付ですが、家並みの様子は両者で微妙に異なっています。その違いを探しながら歩くのも楽しいでしょう。

【1】小荒井の蔵造りは、2階の窓に扉をもつものは少数派。対してここ小田付では、ほとんどすべての家に観音開きの土戸が付けられています。
【2】そのうえで、土戸の内側を黒く塗りごめているのが特徴。小荒井では土戸をもつ家も、内側を黒く塗りません。
【3】窓枠上部も黒しっくいで仕上げています。
【4】壁と軒の接合部も黒しっくい。
【5】屋根は会津特有の赤瓦。これにより白・黒・赤の三色の町並みができあがりました。

喜多方の中心街には2つの歴史的な町並みが残っています。
ひとつは田付川の西、甲斐本家のある小荒井(ふれあい通り)。そしてもうひとつが川の東、観光馬車が運行されている小田付(おたづき蔵通り)です。


1877(明治10)年に建てられた小原酒造


小原酒造の並びにある大森家住宅

小田付は米沢街道筋の町として発展しましたが、もともとの喜多方の中心街は小荒井で、戦国時代の永禄7(1564)年には小荒井で定期市が開かれるようになりました。
しかし、それから19年後の天正11(1583)年には市場が小田付に移転。以降、2つの地区では開市日に関する論争が続いたそうです。
時代が下って安政年間(1854〜60年)には商人の店蔵が建てられるようになり、「市の立つ町」から「商人が常住する町」へと変化していきました。

蔵造りの家は江戸時代から建てられていましたが、普及するきっかけとなったのが1880(明治13)年の小荒井大火。このとき蔵の耐火性能が実証され、多くの家が蔵造りで建て直されたのです。


独特の腰壁意匠をもつ金忠の蔵

裏通りにも蔵が建ち並んでいた

大善の巨大な蔵の連なり

小田付の象徴といえるのが屋号を「大善」という矢部家。蔵座敷は1897(明治30)年ごろの竣工です。主屋は洋風に改築されましたが、不思議と町並みになじんでいるように感じるのはわたしだけでしょうか。
ちなみに参考資料の『日本一の蔵めぐり 会津喜多方の迷宮』(須磨章著)では、小田付の大善を「東の横綱」、小荒井の甲斐本家を「西の横綱」とたたえています。


喜多方の名家「大善」

喜多方は歴史が古く、意匠もすぐれた蔵造りの家がたくさん残っているのに、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)には選定されていません。実は1970年代末、小田付ほか小荒井、杉山、三津谷の各地区で重伝建選定に向けた動きがあったのですが、結局は選定されませんでした。
そのときの調査報告書には、「小田付の南部は調査区域中、最も状態がよい」と折り紙つきの評価が与えられています。調査から30年以上が過ぎてもなお、小田付は昔の姿をとどめ、訪れる人をやさしく出迎えてくれます。


【住所】
福島県喜多方市中町、南町、宮西、東町、四百苅
【公開施設】うるし美術博物館
【参考資料】
『喜多方の町並(商家)伝統的建造物群保存調査報告書』喜多方市教育委員会、1980年
『日本一の蔵めぐり 会津喜多方の迷宮(ラビリンス)』須磨章著、三五館、2008年

2013年6月3日撮影


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