上小屋
かみごや
混在する石蔵と土蔵
旧大信(たいしん)村の上小屋は会津街道の宿場町として栄え、江戸時代後期には家数110軒を数えたといいます。いまでは宿場町の面影はすっかりなくなり、静かな農村集落となっています。 |
【1】白河から須賀川にかけての一帯は石の産地。加工しやすく、吸湿性があることから、蔵の建材として好まれました。上小屋には白河石の石蔵が何棟か残っています。 |
天正18(1590)年、豊臣秀吉の会津黒川城入城を機に、勢至堂(せいしどう)峠を通る会津街道が整備されました。上小屋はこの街道筋に開けた町。今日ののどかな田園風景からは想像もできませんが、かつては本陣と問屋のある宿駅だったのです。 |
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農家と蔵 |
上小屋の特徴は蔵。土蔵と石蔵が渾然一体となって、歴史ある風景を形成しています。しかしこの蔵の村は、東日本大震災で大きな被害を受けました。古い土蔵の中には、音を立てて崩れ落ちたものがあったといいます。 |
上小屋の「蔵並み」でひときわ目を引くのが、農協が建てたという米蔵です。石蔵なのですが、右写真の通り内部では木材を格子状に組んで、米の入った麻袋を詰め込んでも通気性を確保できるようにされています。この蔵は、いまでは個人所有の納屋として使われていました。 |
農協が建てた米蔵 |
白河石で増築された土蔵 |
地区内の谷をわたる農業用水 |
2013年6月2日撮影 |