福良
ふくら

猪苗代のたまもの

福良では茅葺き民家が散見され、白河街道の宿場町としての面影をわずかにとどめています。

【1】街道筋に茅葺き民家が1軒あります。裏道にも、もう1軒ありました。
【2】江戸廻米の集積地だったという歴史を知ったからなのか、福良にはかなりの数の蔵が建っているように見受けられました。それも周辺の街道宿(三代や赤井)に比べ、立派な蔵が多いという印象です。
【3】しかし、歴史を生かした町づくりは行われておらず、空き地が目立ちました。この町並みもやがて失われてしまうのでしょうか。

福良は白河街道の宿場ですが、ここから会津若松へ向かうには陸路を通るルートと、猪苗代湖を船で行くルートの2通りがありました。福良はもっぱら舟運の集積地として栄えました。とくに会津藩から江戸へ運ばれる米は、猪苗代湖を船で渡り、湖岸の秋山で陸揚げされたのち、福良宿の蔵に一時納められたそうです。


裏道の茅葺き民家。よく見ると、トタンで葺き直した上に茅を乗せている

白河街道沿いに古民家が並ぶ

福良には比較的大きな土蔵が残されています。これも、この地が「猪苗代のたまもの」だったことを教えてくれる生き証人。しかし街道沿いには空き地も増えているようで、この歴史的な町並みが今後どうなっていくのか、非常に気がかりです。

右写真の左の家は柱が密に入れられ、右の家と比べても屋根が高く、とても不思議なかたちをしています。
土蔵を住居用に改装したものなのかな、とも思いましたが、実際のところは分かりません。


古そうな塀と蔵の残る一角

こんなに大きな蔵も残されていた


【住所】福島県郡山市湖南町福良
【公開施設】なし

2013年6月2日撮影


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