田麦俣
たむぎまた

客室は蚕室になった

民家本に必ず登場する「高はっぽう造り」は、かつて山形県の朝日山地に広く分布した農家の一形式。現存数はわずかで、田麦俣ではかろうじて集落然とした風景を見せています。

【1】これらの家はかつて副業として宿屋を営みました。客間は2階にありましたが、のちに蚕室に転用され、採光と通風を確保するため妻側の屋根を切り上げました。この造作を「高はっぽう」といいます。
【2】平側の屋根にも窓を開けます。もともとあった空気抜きを広げたもので、「はっぽう」といいます。
【3】急斜面に展開する田麦俣は、全国屈指の豪雪地帯。土地を有効活用し、冬季の利便性を高めるため、納屋や便所なども主屋の中に取り込まれています。こうして1軒の家が巨大化しました。

田麦俣の農家は高はっぽう造りと呼ばれます。漢字をあてると「高八方」。はっぽうとは破風のことで、妻側の屋根を切り上げた形式を指し、妻面そのものの呼称にもなっているようです。山梨県周辺に多いかぶと造りと機能は同じで、2階蚕室の通風と採光をよくするために開発されました。


旧遠藤家住宅の高はっぽう

旧遠藤家住宅から民宿かやぶき家を見る

これらの家は江戸時代まで宿屋を営んでいました。田麦俣は月山(がっさん)や湯殿山への参詣道にあり、多いときには2階まで客があふれたといいます。宿屋の経営はあくまでも副業でしたが、明治以降の交通の発達とともに商売が成り立たなくなり、替わって養蚕が盛んになると、2階客室は蚕室へ転用されました。

高はっぽう造りの家は朝日山地に広く分布しましたが、戦後、急速に数を減らしました。いまでは2棟が並んで残る田麦俣だけが、かろうじて集落然とした風景を見せています。田麦俣では2棟のうち1棟が民宿、もう1棟は山形県指定文化財・旧遠藤家住宅として一般公開されています。


田麦俣の2軒の高はっぽう

平側の屋根に開けた窓も「はっぽう」という


旧遠藤家住宅の2階蚕室


部屋の上に渡された横材は、作物などを掛けるためのものだろう

田麦俣の家は屋根形式もさることながら、1軒の家の中に馬屋、便所、風呂場、納屋などの機能を集約している点も特徴です。土地が限られていることと、豪雪地帯で冬の屋外活動が困難であることが理由でしょう。日本の大型民家といえば岐阜県・富山県の合掌造りが思い出されますが、こちらも同じ理由で巨大化したという説があります。ところ違えど、豪雪の山間部の家は大きくなるのですね。

土間に馬屋がある。左奥には風呂桶


【住所】山形県鶴岡市田麦俣七ツ滝
【公開施設】旧遠藤家住宅
【参考資料】
『滅びゆく民家 屋敷まわり・形式』川島宙次著、主婦と生活社、1976年

2015年7月5日撮


戻る