玉庭
たまにわ

茅屋根がつくる散村景観

川西町南西部の旧玉庭村には、茅葺きの大型民家が多く残っています。江戸時代初期、屋内で馬を飼う必要性が生じたことで、家が大きくなったといわれています。

【1】玉庭は街道に沿った集落ですが、ほとんどの家が表通りから一歩入ったところに建ち、散村のような風景を見せています。
【2】民家はL字平面の中門造り。L字の曲がり部に台所が、突出部に馬屋がありました。
【3】主屋の延長線上に納屋を建て、両者の屋根をつなげている家が散見されました。こうした家の平面はT字型になります。


玉庭の中門造りの家

玉庭は古くからの農村で、慶長年間(1596〜1615年)に米沢藩の士族が入植して以来、武家と農家が共存する集落となりました。この地で中門造りが建てられるようになった背景には、武家が大きく関わっているようです。もともと農家よりも粗末な家に住んでいた彼らは、筆毛を得るため、また輸送手段として馬を飼育する必要に迫られ、主屋と馬屋を一体化させたL字型の家をつくるようになったとされています。

同形の家は東北地方に広く分布します。玉庭の家も他所からの影響のもと発達したのでしょう。しかし秋田県や新潟県、福島県の中門造りは総じて突出部が短いのに、玉庭の家は突出部が長く、スマートな印象を受けます。


突出部が長い玉庭の民家


中門造りに納屋を結合させた家


トタンに葺き直された家もある

2014〜15年に葺き直された家

そして玉庭で最も特筆すべきは、いまも多くの家が茅屋根を見せていることです。左のお宅は奥の屋根を2014年に、手前を2015年に葺き直したばかりだと聞きました。職人は80歳ほどとご高齢だそうですが、町が採用した「地域おこし協力隊」が地走り(茅の準備など周辺の手伝い)として参加したそうです。これからも見事な茅葺きの景観を維持してもらいたいと思いました。


集落には家が点在し、散村のよう


屋敷林のある家


【住所】山形県東置賜郡川西町玉庭
【公開施設】なし
【参考資料】
「中門造り民家の変貌について 川西町玉庭の場合」金子幸子著、『山形大学紀要(教育科学)』5巻4号(1973年1月号)所収

2015年7月5日撮影


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