大山
おおやま
米どころの中の酒どころ
日本有数の穀倉地帯、庄内平野には歴史ある酒蔵が多く、ここ大山には4軒が現存しています。庄内を代表する酒どころで、「東北の灘」とも呼ばれています。 |
【1】切妻屋根が並ぶ大山の町並み。 |
加藤嘉八郎酒造の建築群 |
大山は羽州浜街道の宿場だったところで、江戸時代に入ると豊かな伏流水と地元産の米を使った酒造業が盛んになりました。当地でつくられる酒は「大山酒」と呼ばれ、醸造家は文政2(1819)年に32軒を数えたといいます。 |
近隣の郷村では地元産の酒造家を守るため、大山酒の流通を制限しました。そこで大山の醸造家が選んだのが、日本海航路に乗せて全国へ運ぶ「沖出し」です。大山酒は主に松前(北海道)や新潟で消費され、加賀や江戸に運ばれることもありました。 |
羽根田酒造の建築群 |
撞木造りのような家 |
こうした交流の歴史の中で、大山の町並みも形成されていったのだと思います。というのも、現存する前下屋の大きな町家は、北陸や新潟のそれとよく似ているからです。中には前下屋の幅が主屋よりも広く、T字型の平面をした家もありました。これなどは北陸の撞木造りを連想させます。 |
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冨士酒造も大きな前下屋をもつ |
古い商家は町を南北に走る本町通りに集中していますが、その周辺にも旧家や造り酒屋が点在し、落ち着いた町並みを見せています。 |
安良町公民館。1885(明治18)年築 |
表に「医学士」の表札のあった家 |
2015年7月5日撮影 |