大石田
おおいしだ

みちのくの京町家

大石田は最上川最大の川港として、江戸時代以降にぎわいを見せました。川沿いには短冊状の細長い土地に建物を配置した、京町家のような商家が並んでいます。

【1】間口が狭く、奥行きが長い。京町家に共通する土地割です。
【2】京町家は多くが平入りですが、大石田の町家はほとんどが妻入り。しかも土蔵造りであるため、いわゆる「京町家」とは印象がまるで違います。
【3】細長い家の片側に「ろうず」と呼ばれるトオリニワがあります(外からは見えません)。京でいう「ろーじ」(路地)が訛った呼び名だと考えられています。
【4】屋敷の後方に土蔵を建てます。この裏手に最上川が流れています。

東北の日本海側は北前船が寄港したことから、上方文化が根付いた土地として知られています。最たる場所が酒田で、雅な料亭文化が花咲き、方言にも京ことばの影響が見られます。そこから最上川を80キロさかのぼった大石田には、なんと京風の家並みが残されています。


間口の狭い商家が並ぶ

土蔵造りの商家が点在する

京町家といえば間口が狭くて奥行きが長い、俗に「うなぎの寝床」と呼ばれる細長い土地割が特徴。大石田の商家もまったく同じで、短冊状の土地に奥行きの深い家を建てています。しかし建物が土蔵造りである点、平入りよりも妻入りのほうが圧倒的に多い点などにより、京都の家並みとはだいぶ印象が異なります。


比較的間口が広い平入りの家


庭の木々や板塀がよく残る家


後方の最上川まで、細長い敷地に家を建てる

これらの町家のいちばんの特徴が、「ろうず」というトオリニワ(土間)。表から裏庭まで、家の中を貫通する通路です。かつては室内と河岸の船着場とを結ぶ動線としても機能しました。江戸時代、最上川で最大の船場だった大石田の歴史を伝える間取りです。

この家には「ろうず」はないが、細長い宅地がよく分かる


【住所】山形県北村山郡大石田町大石田
【公開施設】なし
【参考資料】
「山形県大石田町における歴史的町並みを保全した町づくりに関する研究」温井亨著、『ランドスケープ研究』63巻5号(2000年)所収
『「最上川流域の文化的景観」調査報告書』山形県教育委員会、2011年

2014年12月30日撮


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