楢下
ならげ

北の石橋集落

上山市郊外の楢下は羽州街道の宿場だった町。江戸期にさかのぼる茅葺きの古民家と、金山川を越える石造のめがね橋が、独特の町並みを構成しています。


【1】羽州街道に並走する金山川。川の左岸(西岸)を走る街道は、楢下宿でいったん右岸に回り、再び左岸に戻ります。
【2】金山川を越える石橋。木橋は洪水のたびに流され、架け替えに苦労したため、明治時代に入り耐久性のある石橋が採用されました。
【3】街道沿いに江戸・明治時代の茅葺き民家が点在しています。

日本の宿場町はふつう直線道路に開かれましたが、楢下宿は例外。羽州街道は当地でコの字型に折れ曲がり、金山川の東西両岸にまたがっています。
明治時代にコの字をショートカットする新道が開かれたため、現在はロの字型の道路網に家並みが展開します。


上流側の新橋

楢下宿は宿場の途中で2度、金山川を渡りますが、そこに石橋が架けられています。「国内で歴史的な石橋を見られる場所といえば九州」という先入観があったものですから、これほど立派な石橋を見られたことに感激しました。

2つの橋はもともと木橋で、何度も洪水で流されてきました。そこで耐久性を高めようと、上流の新橋が1880(明治13)年に、下流の覗橋(のぞきばし)がその2年後に、それぞれ石橋に架け替えられました。いずれも単アーチ橋ですが、地元では「めがね橋」と呼ばれています。


金山川の河岸に石垣を築く。右奥が覗橋


旧武田家住宅(吉川屋跡)

楢下宿では連続性のある家並みを見ることはできませんが、江戸時代にさかのぼる古い建物が残され、注目に値します。中でも古いのが宝暦9(1759)年に建てられた旧武田家(吉川屋跡)や、これとほぼ同時期の旧栗野家(庄内屋)。いずれも茅葺きの曲がり家で、江戸時代には旅籠を営みました。

佐藤家住宅(橋本屋)


金山川沿いに建つ旧栗野家住宅(庄内屋)

町並みの最南端には移築保存された脇本陣、旧丹野家(滝沢屋)がそびえます。間口10間もある大型民家で、やはり後方に突出部をもつ曲がり家となっています。
同じく移築保存された大黒屋は文化5(1808)年の建築。T字平面の撞木造りですが、前面の平入り部はごく短く、構造としてはほとんど妻入りのようでした。


旧丹野家(滝沢屋)

撞木造りの大黒屋


羽州街道沿いの土蔵

   


【住所】山形県上山市楢下
【公開施設】滝沢屋、旧武田家、庄内屋、大黒屋

2014年5月16日撮影


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