上五十沢
かみいさざわ

切妻と寄棟の使い分け

上五十沢は茅葺き建築が7棟残る集落(2015年現在)。山形県では珍しく、多くが直屋(すごや)です。片側が切妻造り、反対側が寄棟造りとなっている点も特徴です。

【1】寄棟屋根のほうに居室があります。
【2】切妻屋根のほうは土間になっていて、かつては農作業が行われました。
【3】ここにススキが植えられています。上五十沢は集落の内外に家ごとの茅場があります。屋根は住民自らの手で差し茅が施され、維持されています。

上五十沢は村山市の北東端にある集落。1955(昭和30)年の境界変更によって下五十沢と中五十沢が尾花沢市へ編入されたため、村山市中心部から上五十沢に行くには、一度尾花沢市を経由しなくてはなりません。


上五十沢の景観

茅葺きの主屋と納屋

ここが茅葺きの里であることは早くから認識されていたようで、1997年*には「かやぶきの里景観事業」が始動しています。しかし茅屋根を維持する抜本的な政策は打ち出されることなく、年を追うごとに1棟、また1棟と、トタンで覆われたり、解体されていきました。
わたしが訪れた2015年の夏、上五十沢には茅屋根の主屋が6棟、納屋が1棟ありましたが、これでも全国的には多いほうです。
*事業開始年を1995年とする資料もある

上五十沢に現存する茅葺き民家は、1棟が中門造りであるほか、5棟が直屋です。東北地方の日本海側から新潟県北部、福島県西部にかけては中門造りが卓越しますから、これは珍しいことだと思いました。村人に話を聞くと、直屋のうち寄棟屋根の側に居室が、切妻屋根の側に農作業スペースが設けられているとのことでした。


1棟だけあった中門造りの家

いぶすべ荘も片側が切妻屋根

かつて上五十沢で景観維持に寄与していたのが、東北芸術工科大学です。集落にある通称「いぶすべ荘」を夏のゼミ活動拠点とし、古民家の調査や民俗・信仰などの採集を行っていました。「いぶすべ荘」は現存しますが、村人からは、近年ゼミ活動はあまり盛んではないとも聞きました。

現在、上五十沢の景観維持は、ほぼ100%住民の意思と努力にゆだねられています。各家では屋根材となるススキを植え、秋に刈り取ります。これを一冬寝かせたのち、初夏になったら屋根の傷んだ部分に差していきます。「差し茅」と呼ばれる方法で、総葺き替えに対する応急的な手法と見なされることもありますが、実は差し茅は東北地方では伝統的な方法です。


家の下の斜面にススキが植えられている

開口部の少ない特徴的なザシキ

上五十沢を訪問した折、一軒の家の内部を見せていただくことができました。左写真はその家のザシキです。通常、ザシキの表側には縁を設けますが、この家は表側(右側)が押入れになっています。これは上五十沢の伝統的な間取りで、子どもが独立すると押入れを拡張してナンドとし、親世帯の隠居部屋にする風習があるのだそうです。


茅屋根のままの古民家


トタンで補修された古民家


【住所】山形県村山市五十沢
【公開施設】なし
【参考資料】
「上五十沢集落の民家調査」宮本長二郎著、『東北芸術工科大学東北文化研究センター研究紀要』6号(2007年3月号)所収

2015年7月4日撮


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