田代
たしろ
果たして屑家は誇りになった
羽後町は全国有数の茅葺き地域。町内の広範囲に点在していますが、今回は田代地区の梺(ふもと)から門前にかけて訪問しました。 |
【1】羽後町はL字平面の中門造りの本場。この家は田代地区の地主、旧長谷山邸です。 |
羽後町はトタンで覆われていない茅葺き民家が約40棟、トタンで補修されたものも約40棟現存する、全国屈指の茅葺き地帯。それでも1988(昭和63)年には258軒あったといいますから、平成に入ってからの20余年で15%にまで減ってしまいました。 |
|
一棟貸し古民家、茅ぶき山荘・格山 |
茅葺き民家が全国的に減少すると、羽後町では茅葺きの希少価値を認め、これを保全する対策に着手。2009年度には国からの交付金を使って「かやぶき職人育成事業」を立ち上げ、10年度からは茅葺き屋根の補修助成制度を導入しました。(助成は工費の3分の1、上限30万円)。 |
茅葺きの宝庫たる羽後町の象徴的存在が旧長谷山邸です。町の中西部にある田代地区の地主の家で、1882(明治15)年の主屋と1902(明治35)年の土蔵高楼が「総合交流促進施設」として一般公開されており、築100年の別邸は一棟貸し古民家「格山」として活用されています。 |
|
旧長谷山邸の土蔵高楼 |
旧長谷山邸主屋は、屋根がトタンに葺き直されているものの、このあたりの典型的な形式である中門造りで建てられています。中門造りは平面がL字型の曲がり家で、曲がり部で馬を飼育しました。 |
|
|
これら長谷山家の建築群がある梺集落から、北へ1.5キロの門前集落にかけて、複数の茅葺き民家が点在しています。 |
|
|
|
茅葺き民家の木連格子。縦横の桟の間隔が違う |
かつて茅葺き民家は屑家(くずや)と呼ばれ、ときに貧しさの象徴と見られてきました。しかし茅葺きの家には、先人の知恵と技術が結集されていますし、そのたたずまいに、現代の住宅にはない温もりを見いだす人もいます。これら有形・無形の価値を認めて村おこしを行えば、住民の意識が変わるのは、ある意味当然のことといえるでしょう。 |
|
|