増田
ますだ

家の内側に現れる、もうひとつの家

日本に数ある「蔵の町」の中でも、増田はそうとう風変わりな町です。増田の蔵は主屋とともに、巨大な倉庫状の建物で覆われています。豪雪から家や蔵を守るための措置で、厳しい風土が育んだ独特の建築です。こうした屋内の蔵は「内蔵」と呼ばれ、40棟ほどが現存。そのうち10棟以上が一般公開されています。

【1】写真の左に写っているのが主屋。
【2】主屋の真後ろに建つのが内蔵。
【3】主屋と内蔵をすっぽり覆う建物は鞘(さや)と呼ばれます。増田ではひとつの鞘の中に、主屋も蔵も納められています。
【4】家財を収納する内蔵は、家の中で最も重要な建物でした。そんなこともあって、時代が下るとともに、内蔵の外壁に木枠を取り付けて保護するようになりました。この木枠は「内鞘」と呼ばれます。内鞘をもつ家では、建物全体を覆う鞘を「外鞘」と呼んで区別します。

2〜3階建ての大型木造商家が並ぶ増田は、成瀬川と皆瀬川の合流点に近く、物資集散の拠点として商業が発展しました。中心街には財をなした商人の家が並び、往時の繁栄ぶりを教えてくれます。
増田町の本当のおもしろさは、これらの家の内側にあります。玄関に一歩足を踏み入れると、そこにはほかの町では見られない光景が広がっていました。


佐藤又六家住宅

旧石田家住宅

切妻の商家と土蔵造りの家が連なる

佐藤又六家住宅、主屋
左写真は国の登録有形文化財、佐藤又六家住宅の2階部分。土蔵造りの主屋が、鞘と呼ばれる大きな上屋によって、すっぽりと覆われています。驚くべきことにこの上屋は、主屋のみならず、中庭から蔵まで敷地の全体にわたっています。
このようなつくりにしたのは、貴重な家や財産を雪の重みから守るためです。増田はいつのころからか「ほたる町」と呼ばれるようになりましたが、一説では、家の最も奥にある豪華な蔵(内蔵)を光り物に見立てた呼称だとされています。

増田の住民は内蔵のことを、単に「後ろの蔵」と呼んでいました。最近の学術調査によって家ごとに用途が異なることが注目されると、収納を目的とした「文庫蔵」、畳を敷いて生活の場とした「座敷蔵」など、いくつかの呼称が与えられました。
右写真の佐藤又六家の蔵は、幕末から明治初期にかけての建造。増田に現存する最古の内蔵といわれています。初期の内蔵は実に簡素なつくりをしています。


佐藤又六家住宅、内蔵

佐藤三十郎家住宅、内蔵

やや時代が下って、1878(明治11)年に建てられた佐藤三十郎家の内蔵は座敷としてつくられ、床の間もそなえています。また、この蔵は梁間7.3メートル、桁行12.7メートルあり、増田の内蔵ではとくに規模の大きなものとなっています。

さらに時代が下った1921(大正10)年の佐藤養助漆蔵資料館の蔵になると、豪華さにもいっそう拍車がかかってきます。この蔵は内部の木部がすべて漆で塗られていて、目には見えない天井裏の小屋組みまで漆で仕上げられているのだそうです。


佐藤養助漆蔵資料館、内蔵

佐藤養助漆蔵資料館、内蔵

山吉肥料店、内蔵

増田に建てられた最後の内蔵が、1932〜33(昭和7〜8)年の山吉肥料店の内蔵。この蔵は人生の節目の儀式にしか使われない、その名も「冠婚葬祭蔵」であり、いまもご当家の山中家の手により大切に扱われています。そのため内部は非公開ですが、外壁を飾る洗練された内鞘からも、華やかだろう内部空間に思いを馳せることができました。


【住所】秋田県横手市増田町増田(地図
【公開施設】観光物産センター蔵の駅(旧石平金物店)、旧石田理吉家、佐藤又六家、ほか多数。詳細は「増田 内蔵のある町」参照のこと

2013年2月11日撮影


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