小坂
こさか

県都に先駆けた大都会

明治・大正時代、小坂町は銀や銅の採掘で栄えました。ここは秋田県で初めて電気が引かれた町であり、「夜を焦がす町の灯りが、まるで東京のようだ」といわれたことからも、往時の繁栄ぶりを想像できます。

【1】重要文化財の劇場、康楽館。小坂鉱山を運営する藤田組(現DOWAホールディングス)が、従業員のレクリエーション施設として建設しました。
【2】重要文化財の小坂鉱山事務所。明治時代の山奥にこんな洋館が建てられたなんて、当時の人々の驚きはどれほどだったでしょうか。

【3】街路樹はニセアカシア。小坂町は採鉱で繁栄するいっぽう、煙害によって山の木々は枯れてしまいました。そこで根付きが早く、悪条件下でもよく育つニセアカシアが植樹され、街路樹にも採用されました。

明治以降、銀の採鉱で大いなる繁栄を手にしたのが小坂町です。鉱山は文政12(1829)年、農民によって偶然発見されたといわれ、明治維新後は官営となりました。
1884(明治17)年、藤田組が国から鉱山の払い下げを受けると、鉱山開発とともに町づくりに着手。住宅や病院を建て、電気や水道を整備し、東北の山あいに巨大都市を出現させました。


夜のとばりが下りるころ、小坂鉱山事務所


小坂の顔ともいえる康楽館

藤田組が建てた施設のひとつ康楽館は、従業員のレクリエーションに供した芝居小屋。建設年は1910(明治43)年で、移築・復元されていない芝居小屋として、日本に現存する最古のものです。康楽館は現役の劇場でもあり、歌舞伎の興行などが毎年行われています。


康楽館を横から見る。とても大きな建物だ

ルネサンス様式を基調とした3階建ての小坂鉱山事務所は、1905(明治38)年の建設。当時これほどのオフィス建築は、東京や大阪でも数えるほどだったのではないでしょうか。衰えることの知らない藤田組の勢いを感じる建物です。
鉱山事務所は1997年まで同和鉱業によって使われていました。2001年に現在地に移築され、いまでは博物館として公開されています。


小坂鉱山事務所の螺旋階段


小坂鉱山事務所


天使館(旧聖園マリア園)

藤田組は鉄道の敷設にも尽力し、1908(明治41)年には小坂と大館を結ぶ小坂鉄道が開通しました。駅舎を含む一連の鉄道施設も保存され、2014年より鉄道公園(小坂鉄道レールパーク)として公開されています。

 

小坂鉱山の操業は、しかし、いいことばかりをもたらしませんでした。この地で深刻化したのが大気汚染です。町の木は煙害でことごとく枯れ、その後、耐性の強いニセアカシアが植樹されるようになりました。
ニセアカシアはいまや300万本といわれるほど増え、6月の開花期には町じゅうが甘い香りに包まれるといいます。ちなみに小坂町には、ニセアカシアの蜜を使ったハチミツや、木材を加工した拍子木(康楽館にちなむ)などの土産物があり、町の特産品としてその経済に一役買っています。


小坂鉱山事務所(奥)と天使館


【住所】秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山(地図
【公開施設】康楽館、小坂鉱山事務所、小坂鉄道レールパーク

2013年2月10日撮影


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