毛馬内
けまない

雪の中のこもせ

秋田県内陸部、もと盛岡藩領の毛馬内は、秋田藩、津軽藩との藩境に位置し、古くから要衝として重要視されました。いまは静かなたたずまいの町並みの中に、雪除けの「こもせ」が残っていました。

【1】雪深い毛馬内では雪除けのアーケード「こもせ」が発達しました。青森の「こみせ」と同じものです。
【2】こもせに覆われた通路は公道ではなく、私有地です。各家が通行人への配慮から家を後方に建て、前面を屋根付きの通路として開放したものです。
【3】こもせの構造は、ひさしを柱で支えるだけの単純なもの。基本的に道路側は開放しています。

毛馬内は盛岡藩が領内に設けた33の通(とおり)のひとつで、毛馬内城代が居住し、城下町が形成されました。町内を南北に走る城下町と、それに直交する商家町が、今日の毛馬内の骨格をなしています。


こもせのあるT家住宅

こもせをもつ家が連なる毛馬内の商家町

毛馬内は1年のうち約4カ月を雪に閉ざされ、積雪は最大で80センチほどになります。そのためここには雪国でおなじみのアーケード、こもせが発達しました。家の建て替えが進んでいるため毛馬内のこもせは断続的で、木造商家に残る歴史的なものはわずかしか見られません。しかし左写真のように改築しながらもこもせを残す家もあって、いまだに生活上欠かせない存在であることがうかがえます。

城下町は商家町の東の高台にあり、道沿いに生垣が続く町並みが保存されています。茅葺きの家も散見され、中には鹿角市に現存する最古の民家もありました。


毛馬内の武家町の南端に大型の茅葺き民家が残っていた

生垣が続き、往時の風情をとどめる毛馬内武家町


鹿角市最古、宝暦元(1751)年に建てられた武家住宅


【住所】秋田県鹿角市十和田毛馬内(地図
【公開施設】なし

2013年2月10日撮影


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