角館
かくのだて
侍がつくった京都
個人的に「日本一の武家屋敷町」は、北は角館、南は知覧だと思っています。黒板塀が延々と続く角館には、日本のどの町ももち得ない風情があります。 |
【1】道の両側に武家住宅が並びます。門の形式は、かつては格式にしたがって区別されていましたが、現在は薬医門が中心です。(写真は青柳家) |
角館の城下町は武家が暮らす内町と、町人が暮らす外町(とまち)に区分けされ、外町にはさらに武家が暮らした田町がありました。こうした町割はいまもそっくり残されていますが、中でも内町には江戸時代の武家屋敷が残され、比類なき歴史的風致をつくり出しています。 |
角館内町の景観、道幅の広さに驚かされる |
町並みの中ほどに枡形(ますがた)がある |
角館の内町は上級武士が暮らしたエリアです。町を訪れてまず驚くのが、南北方向に走る表通りの広さ。道幅は11メートルもありますが、これは江戸時代から変わりません。しかし東西方向に抜ける道はなく、防衛に配慮した様子がうかがえます。 |
雪国でもある角館では、冬にそなえた建物のつくりを見ることができます。右の写真は青柳家の蔵ですが、屋根の庇を支える斜め材が見えます。雪の重みで庇が折れるのを防ぐためのもので、「頬杖」と呼ばれます。 |
青柳家の蔵 |
石黒家住宅 |
現在、角館では6軒の武家屋敷が一般公開されています。 |
現存する武家住宅の中には維新後に再建されたものもあります。しかし右写真の河原田(かわらだ)家住宅のように、明治の再建であっても、外見や間取りは江戸期の武家住宅の様式を踏襲しています。 |
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