角館
かくのだて

侍がつくった京都

個人的に「日本一の武家屋敷町」は、北は角館、南は知覧だと思っています。黒板塀が延々と続く角館には、日本のどの町ももち得ない風情があります。

【1】道の両側に武家住宅が並びます。門の形式は、かつては格式にしたがって区別されていましたが、現在は薬医門が中心です。(写真は青柳家)
【2】門の脇に、家族が出入りする通用門が設けられています。
【3】こうした出窓は「のぞき窓」と呼ばれ、訪問者や往来の様子を確かめるのに使われました。
【4】馬をつないだ、その名も「馬つなぎ石」です。上端に穴が開けられています。
【5】こちらは踏み台とした「馬乗り石」です。
【6】角館の家々にはシダレザクラが植えられています。江戸時代初期、当地に移封された佐竹義隣(さたけ・よしちか)が、ふるさと京都から移植したことに始まります。彼は京都をしのび、角館の地形に「小倉山」「賀茂川」などと名付け、「みちのくの小京都」の素地をつくりました。

角館の城下町は武家が暮らす内町と、町人が暮らす外町(とまち)に区分けされ、外町にはさらに武家が暮らした田町がありました。こうした町割はいまもそっくり残されていますが、中でも内町には江戸時代の武家屋敷が残され、比類なき歴史的風致をつくり出しています。


角館内町の景観、道幅の広さに驚かされる

町並みの中ほどに枡形(ますがた)がある

角館の内町は上級武士が暮らしたエリアです。町を訪れてまず驚くのが、南北方向に走る表通りの広さ。道幅は11メートルもありますが、これは江戸時代から変わりません。しかし東西方向に抜ける道はなく、防衛に配慮した様子がうかがえます。
この道の両側に黒板塀が延び、緑豊かな庭をもつ武家住宅が並びます。庭木は単なる飾りではなく、防風、防火、防雪などの役目を担いました。

雪国でもある角館では、冬にそなえた建物のつくりを見ることができます。右の写真は青柳家の蔵ですが、屋根の庇を支える斜め材が見えます。雪の重みで庇が折れるのを防ぐためのもので、「頬杖」と呼ばれます。
主屋では座敷の外縁に床を張らず土縁とすることで、積雪にそなえています。


青柳家の蔵

石黒家住宅

現在、角館では6軒の武家屋敷が一般公開されています。
左写真の石黒家住宅は18世紀末〜19世紀初頭の建造と推定され、現存する角館の武家屋敷では最古のものです。また、現存する中ではもっとも格式が高く、2つの玄関をもつことからもそれがうかがえます。(脇玄関が右の葉陰にあります)。

現存する武家住宅の中には維新後に再建されたものもあります。しかし右写真の河原田(かわらだ)家住宅のように、明治の再建であっても、外見や間取りは江戸期の武家住宅の様式を踏襲しています。


河原田家住宅


【住所】秋田県仙北市角館町(地図
【公開施設】石黒家、青柳家、岩橋家*、河原田家*、小田野家*、松本家* *は冬期休館

【参考資料】
『写真でみる民家大事典』日本民俗建築学会編、柏書房、2005

2006年11月4日撮影


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