荒川
あらかわ

モノトーンの格調

荒川は、奥州街道の境から角館までを結ぶ繋街道の宿場町だったところ。現在も多くの大型農家を残し、雪景色の中美しい妻壁を見せてくれました。

【1】印象的な切妻・妻入りの大型民家が連なる荒川の街道筋。ほとんどの民家はL字平面の中門造りです。
【2】棟木を大きく突き出し、雪割棟としている家屋が全体のおよそ半分ありました。軒はあくまで深く、吹きつける雪から建物を守ろうとした人々の執念を感じます。
【3】妻面には漆喰壁の上に柱と梁を縦横に張りめぐらせています。妻壁を突き破って外に出た桁の先端は、寺院建築のように装飾が施されています。

荒川を含む旧協和町の一帯は中世以降に開かれた金山の多い地域で、一連の山を中心とした地域支配が行われました。この地域で中心的な集落だったのが境村と上淀川村の2カ村。荒川はこの2カ村を親郷とする寄郷として江戸時代に整備された新開地のひとつです。


S家住宅。L字型平面の中門造り
集落最大級の民家、K家住宅。民宿として利用されている

荒川には秋田の内陸を横断する繋街道(角館街道)が通り、ここから西へ1キロほどの上淀川で羽州街道と合流します。このため鉱山・山林経営のための物資集散地として栄え、しばしば伝馬役などを務める人馬を供出しました。
今日、旧協和町の中核エリアだった境や上淀川に古い街並みは残っていませんが、荒川では見事な切妻造りの民家群が見られます。妻面は柱と梁で美しく飾られていますが、こうした意匠は秋田県内陸部に典型的なものです。


雪割棟がない家もある。一面の雪景色の中、山形を描く妻壁が浮かぶ


軒の深い主屋と蔵
実は荒川に切妻の町並みが出現したのは比較的新しく、昭和後期の写真を見ると寄棟茅葺きの町並みだったことが分かります。茅葺き屋根はメンテナンスが大変ですから、葺き替えのタイミングで切妻、鉄板葺きに改めていったのでしょう。右写真は町並みに現存する貴重な茅葺き民家です。
T家住宅。茅葺きの家もL字平面の中門造り


【住所】秋田県大仙市協和荒川(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(5)秋田県』角川書店、1980年

2013年2月11日撮影


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