米川
よねかわ

豊かさの理由は

国道456号線に沿って北上し、宮城県で最後に通る集落が米川です。2階建ての商家が連なる町の豊かさの背景には、伊達藩直轄地としての歴史がありました。

【1】米川では明治以降に事業や商業を始めた家が多く、国道沿いに商家が連なります。この洋風建築は、かつて個人が営業した郵便局でした。
【2】ミセグラの脇に、主屋へ通じる門を設けます。宮城の街村に共通する建物配置です。
【3】この蔵造りの家は明治時代の銀行。建物の隅でなまこ壁を高くあげているのは、吹きつける雪にそなえて耐久性を高めるためです。

米川は宮城県の最北端、岩手県に隣接する古い町です。近くに大同2(807)年に創建された華足寺(けそくじ)があり、参詣の旅人が通る街村として栄えました。華足寺は馬頭観音を祀り、古くから農耕馬を飼育してきた東北各地の農民の信仰を集めました。

明治以降は旧米川村の中心地となり、道筋に次々と商家が建てられました。こうした街村景観が形成されたのは、ひとつには華足寺が近かったためでしょうが、いまひとつには伊達藩の直轄地だったことがあげられます。同じく伊達藩領だった近隣の米谷(まいや)や錦織(にしこり)には城館が置かれ、藩主(伊達家)と城主それぞれに年貢を納めていました。しかし米川では藩主への貢納のみだったため、近隣集落に比べ各家が裕福になり、明治以降に起業する蓄えがあったのです。

米川で異彩を放つのが、アールデコ調の洋風建築。かつての郵便局で、郵便マークをあしらった窓の装飾に特徴があります。


旧郵便局


M家住宅の1階には一部に石扉が残る

町並みのほぼ中央に位置するのが、なまこ壁の外壁で目をひくM家住宅。明治〜大正以降、通りに面した店蔵で銀行を営んだそうで、1階正面には往時の防犯扉である石扉がいまも残されています。

M家住宅。町の中心でひときわ目立つ

屋号「門前」。大慈寺の門前にあり、住職交代の儀が行われる

切妻の家が3軒並んでいた


【住所】宮城県登米市東和町米川
【公開施設】なし

2014年9月21日撮影


戻る