横川
よこかわ

水路に寄り添う

羽州街道から北の山側へ4キロほど入ったところに横川はあります。ここは木工製品をつくる木地師の集落でした。

【1】大規模な寄棟民家が20戸ほど、道の両側に並んでいます。
【2】道路の片側に幅50センチほどの水路が走ります。あるいは昔は、水路の両側に道が引かれていたのかもしれません。
【3】特徴的と思ったのがこの納屋。水路の上にあり、中には洗い場が設けられています。

横川は非常に特徴的な農村集落ですが、歴史を解説した資料は少なく、ましてや建築に言及したものは見あたりませんでした。
ここはまず、木地師の里として知られています。木地師とは、ろくろを使って円形の木工品(椀、皿、こけしなど)をつくる職人のこと。その起こりは滋賀県にあるとされ、戦国時代に新潟、山形へ移り、七ヶ宿の稲子(いなご)に入ったのは天正2(1574)年。その後も良質な木材を求めて転々とし、元文元(1736)年に横川に入りました。


集落の南北の入口に「木地師の里」の看板が立つ

集落の最も北には水路を引いた池があった

横川での木地業は明治時代にすたれました。現在も集落内には、江戸時代か明治初期にさかのぼると思しき古民家が点在し、木地師の末裔も住んでいるとのことですが、おおかたの建造物や集落景観は明治後期以降につくられたものと思われます。
集落の特徴は、まず、南北に走る一本道の両側に家が並び、農村というよりは宿場町のような印象を与えること。次に、道に並走して西側に水路が引かれていること。そして水路の真上に小屋が建てられていることです。

水路より西側の家々は広い前庭をもっています。もしかしたら昔は道の真ん中に水路があって、東側の道をコンクリートで舗装し、西側の道は使わないようにしたのかな、とも思いました。


こうして見ると水路は両側の家から等距離に引かれているのが分かる
水路上の小屋は立地こそ特徴的ですが、今日ではごくふつうの納屋として使われている様子。内部には石を組んだ洗い場も設けられています。こうした小屋が、かつてのなりわいである木地業と関係しているのかは分かりません。


小屋の内部。足元に洗い場がある


家を新築しても小屋は残している

2軒の茅葺き民家。奥が旧家高橋
集落の中央から南にかけては、トタンがかぶせられていない茅葺きの家が散見されます。その中の1軒は「旧家高橋」との看板を掲げていますが、それ以外の家は屋根が朽ち、痛々しい姿を見せていました。

丁字路に建つ旧家高橋

屋根の腐食が進む家


【住所】宮城県刈田郡七ヶ宿町横川
【公開施設】なし
【参考資料】
『宮城県謎解き散歩』吉岡一男編、新人物往来社文庫、2011年

2014年5月16日撮影


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