御水主町
おかこまち

歴史伝える最後の1棟

東北きっての観光名所の松島にも、かつては古い町並みがありました。しかしその町並み――御水主町――の痕跡は、移築保存された1軒の民家を除き消えてしまいました。

【1】通りに面して出格子と蔀戸(しとみど)を入れます。蔀戸とは、戸を上に跳ね上げて開く形式の扉です。
【2】建物の入口は家の一番奥、ここにあります。
【3】屋根は茅葺き、寄棟造り。最盛期に48軒あったという水主衆の家は、みな同じ姿をしていました。

水主町(かこまち)は水主衆と呼ばれた水夫が集住した地区で、同様の地名は全国各地に残っています。松島の御水主町は、仙台藩主が松島を遊覧する際の御座船(ござぶね)を操る水夫を住まわせるため、江戸時代初期に整備されました。それにしても、遊覧船の水夫専用の町をつくってしまうなんて、驚きですね。


御水主町。真新しい日本建築は「どんじき茶屋」

御水主町は瑞巌寺参道の一本東にあり、最盛期には水主衆の家が48軒も並んでいました。しかしいま、御水主町を歩いても往時の建物は残されていません。そのため当サイトで御水主町を取り上げるべきか迷いましたが、保存用に移築された最後の1軒に水主民家の特徴が集約されているので、ここで紹介させていただきました。

保存されている「御水主町の民家」は江戸時代後期の建造で、1976(昭和51)年、最後に残っていた1軒を瑞巌寺門前に移築させたものです。御水主町の家のつくりは藩主によって厳格に定められ、みな同じ姿をしていました。外見の特徴は、妻側を表通りに見せ、そこに出格子と蔀戸が入れられていること。出入口は正面にはなく、家の一番奥に小さな戸口が開けられています。


「御水主町の民家」の正面外観

中央奥が移築された「御水主町の民家」
この家は長く「どんじき茶屋」として営業利用されていましたが、最近、本来の御水主町通りに「どんじき茶屋」が店舗を新築したため、現在は訪れる人もなくひっそりとたたずんでいました。
今日の松島には近代的な旅館や土産物屋が多く建ち並んでいますが、国宝・瑞巌寺をはじめとする歴史的な仏教建築や平入り商家なども見ることができます。


【住所】宮城県宮城郡松島町松島町内
【公開施設】御水主町の民家

2014年5月19日撮影


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