松山
まつやま

地震に耐えた蔵造り

震災に見舞われながらも複数の商家が残る松山。しっくいで塗りごめた重厚な家並みが出迎えてくれました。

【1】妻入りと平入りの家が混在します。
【2】蔵造りの建物のうちいくつかは「蔵座敷」になっているそうですが、一般公開されている施設がないため、実際のところは分かりませんでした。
【3】蔵造りの間に立派な門が建てられています。同じ宮城県内陸部の商都・村田を思わせる町並みです。

松山はその昔、千石城の城下町として開けた土地。伊達氏の所領であり、北に隣接する大崎氏に対峙する重要な拠点でした。千石城は慶長8(1603)年以降、伊達氏の家臣である茂庭氏の居城となり、幕末まで北の守りを固めました。

現在の松山は武家地ではなく、土蔵造りの家が並ぶ商家町となっています。空き地が目立つのは東日本大震災(2011年)の影響でしょうか。
しかし、町の中央を南北に突っ切るメインストリートのうち、中央部から南部にかけては蔵造りの商家が並び、見応えのある景観を残していました。



【住所】宮城県大崎市松山千石
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(4)宮城県』角川書店、1979年

2014年5月19日撮影


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