机浜
つくえはま
よみがえった漁村の風景
田野畑村の机浜には、ワカメの養殖などに使われた25棟の番屋があります。現在の番屋群は東日本大震災後に再建されたものです。 |
【1】海岸から100メートルほどの場所に25棟の番屋が建ちます。地形に合わせて3列に配置されています。 |
机浜の地にいつごろ番屋が建てられたのか、確かなことは分かっていませんが、少なくとも明治三陸津波(明治29=1896年)のころには存在していたといわれています。その後、昭和三陸津波(昭和8=1933年)で全棟が流出すると、漁業上の必要性から再建されました。2011年の東日本大震災でもすべて流出しましたが、またも全棟が再建されました。 |
机浜番屋群 |
2014年に再建された番屋の内部 |
机浜はワカメ養殖の盛んな土地で、番屋ではワカメの乾燥や保管、出荷作業が行われました。このほか漁具を保管・修理した番屋や、漁師が仮眠を取った番屋もありました。 |
番屋にはさまざまなサイズがありますが、構造は規格化されています。いずれも入口まわりを土間とし、ほかは板床で、暖を取るために薪ストーブを設置。ワカメの乾燥小屋では、中央に大きなストーブを設置しました。 |
入口の脇に流出前の写真が掲示されている |
机浜では1968(昭和43)年度から港湾や道路の整備が行われ、番屋はしだいに使われなくなっていきました。しかし昭和50年代に入ると若い衆の間から、番屋を観光施設として再利用しようという声があがります。はじめは「恥ずかしいボロ屋」として否定的に捉える住民もいたようですが、2000年にいわて地元学の視察地となり、地区外の参加者から「これこそ漁村の原風景だ」と絶賛されたことで、その価値が見直されました。 |
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その後はサッパ船クルージングなどの観光拠点となり、旅行代理店による観光コースに組み込まれるまでになりました。 |
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薪ストーブの煙突と妻飾り |
気づけば田野畑村にとって、なくてはならない存在にまでなっていた机浜番屋群。東日本大震災後、すぐさま「再建しよう」という声があがったのも当然の成り行きといえるでしょう。80年前、漁業の必要性から再建された番屋は、こんどは観光拠点として、また、地域のシンボルとして再建されたのです。 |
津波浸水地域を示す標識の先に番屋群がある |
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ちなみに机浜は古くから津波被害の絶えなかった土地であるため、集落は2キロほど内陸に入ったところにあります。 今回、机集落にも足を延ばしてみました。そこには畑の間に2階家が点在する、のどかな風景が広がっていました。 |
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