鉈屋町
なたやちょう

盛岡町家の秘密

盛岡城下の東にある鉈屋町は古い町並みを残すエリア。北上川と奥州街道が通る水陸輸送の結節点にあり、数多くの町家が建てられました。

【1】表通りに面したこの部屋が、商売を行った見世(みせ)です。2階は雇い人の部屋や倉庫などとして使われました。
【2】奥のこちら側に座敷があります。座敷の先の土間にかまどがあり、家主が食事を取る部屋として使われました。
【3】見世と座敷に挟まれた真ん中の部屋が常居(じょい)。要は居間ですが、この部屋には2階を乗せず吹き抜けとするのが盛岡流です。常居には神棚を設け、主人の仕事場としたため、「主人を足げにしない」「出世を妨げない」という意味があるのだそうです。

鉈屋町は江戸時代中期の北上川改修によって埋め立てられた地域。北上川舟運の拠点、新山河岸に近接したことから、盛岡でも屈指の繁華街として賑わいました。現存する町家の多くは明治以降のものですが、連続性が高く、東北地方でも指折りの古い町並みといえるでしょう。


鉈屋町の町並み

下屋を出した家が並ぶ

これらの町家は間口が狭くて奥行きが長い、一般的な町家の形式をとっています。しかし細部において独自の造作が見られ、地元ではこれを盛岡町家と呼んでいます。
盛岡町家の外見上の特徴は、1階の前面に下屋を出していること。青森で「こみせ」と呼ばれる雪除けのアーケードと同じものです。盛岡ではなかば内的な空間として取り込み、内土間としています。

内部には表側から見世、常居、座敷と3つの部屋が並びます。京町家でもおなじみ、1列3室の間取りですが、真ん中の常居のみを吹き抜けとしているのが盛岡町家の特徴。常居には土間と向かい合う場所に神棚を設けているため、2階を乗せないのです。
また、京町家では通り土間の途中にかまどを設けることが多いのですが、盛岡町家では土間の最奥にかまどを設け、座敷を食堂としました。


盛岡町家の通り土間

常居にある神棚。左が座敷

4区画の水場をもつ大慈清水

鉈屋町は名水の地でもあり、町内にはいくつもの湧水地がありました。町並みにある大慈清水は飲用水や野菜の洗い場などが設けられた大規模なものでしたが、戦後湧水が涸れたため、いまでは井戸から水を引いています。

名水が湧いた鉈屋町は醸造の町でもあり、かつては多くの酒造家が軒を連ねました。2003年に設立された盛岡まち並み塾ではこれらの建築の修景を行っており、文化交流施設などとして活用されるものも増えています。


明治時代の酒屋を改装した町家サロンピッピ

修景された造り酒屋、旧藤亀

旧浜藤の店構え


旧浜藤の酒蔵群


【住所】岩手県盛岡市鉈屋町(地図
【公開施設】大慈清水御休み処、いづみや(催事のみ公開)
【参考資料】
『鉈屋町界隈ガイドブック』盛岡まち並み研究会、2012年
盛岡まち並み研究会

2013年2月9日撮


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