金ケ崎
かねがさき

要害の家並み

金ケ崎は仙台藩領の北辺にあり、領地を警護するための要害が築かれたところです。江戸期にさかのぼる建物は少ないものの、城塞や武家屋敷からなる要害の構造はよく保存されています。

【1】ここが表通りです。屋敷への入口に門を構える家は、金ケ崎では少数派です。
【2】武家屋敷は、現在でいえば公務員の役宅。客人をもてなすことも多く、玄関は立派に仕上げました。ふだんは左側の簡素な通用口を使いました。
【3】敷地には植栽を多くします。風雪を和らげるため、外からの見通しを悪くするため、枝を薪とするためなど、植栽にはたくさんの目的がありました。

金ケ崎は仙台藩の北の要害として築かれた町。要害とは家臣を住まわせ、領地の警護に当たらせた拠点のことで、仙台藩内に21カ所設けられました。金ケ崎は北上川と宿内(しゅくない)川の合流点にあり、川沿いに6つの郭からなる金ケ崎城を築城。それを取り巻くように武家町、さらにその外側に町人町が配されました。


金ケ崎要害の南縁。台地に築かれている様子が分かる

菅原家。屋敷を隠すかのように木々を植える

武家町は7本の道で構成され、いまも11軒の武家屋敷が残されています。一般に武家屋敷は門を構えますが、金ケ崎では門をもつ家は少数派。門のない家は表通りから敷地までのアプローチをカギ型に曲げ、防御を固めています。

主屋を取り巻く屋敷林も、見通しを悪くするために重要な存在でした。中には入口正面にサルスベリやドウダンツツジなどを植え、目隠しとしている家もあります。これらの木々は薪として燃料になったほか、大きな木は建材としても使われました。


屋敷林が見事な佐藤家

寄棟の武家屋敷群。左は菅原家、右は土合丁・旧大沼家

主屋は寄棟造りとし、通りに妻側を見せるように建て、玄関は奥に設けました。主屋の裏手には菜園などもつくり、自給自足の生活を営めるよう工夫されていました。


通りに並行に棟を配した家は少ない。この大沼家はその一例


武家門を構えた三好家

金ケ崎では長らく一般公開された家はありませんでしたが、2000年代に入ってから武家屋敷の修復・公開が相次ぎました。そのひとつ、片平丁の旧大沼家住宅は、主屋、馬屋、厠(修復に合わせて復元)の3棟が並んだ独特のつくり。こうした配置は三ツ家形式と呼ぶそうで、現在、金ケ崎で唯一の遺例となっています。


片平丁・旧大沼家住宅

江戸時代後期の門がある大松沢家住宅


公開されている旧坂本家の座敷


【住所】岩手県胆沢郡金ケ崎町西根諏訪小路、西根表小路、西根裏小路、西根六軒丁、西根白糸、西根仮屋、西根達小路、西根本町(地図
【公開施設】旧坂本家侍住宅、片平丁・旧大沼家侍住宅、土合丁・旧大沼家侍住宅、伊東家侍住宅(5〜10月公開)、大松沢家庭園
【参考資料】
パンフレット「国選定 藩境の緑ゆたかな要害」

2006年11月4日、2013年2月9日撮


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