砂子沢
いさござわ

遠野の曲がり家はいま

遠野中心部から西へ5キロ。砂子沢川に沿って散村的な景観を残す農村地帯は、かつて曲がり家の密集地帯として知られ、国の保護区選定を目指していました。しかし選定には至らず、いまや昔ながらに茅屋根を見せた家は、数えるほどしか残っていません。

【1】この家、一見すると曲がり家のようですが、主屋は直家(すごや)です。手前に飛び出た馬屋が、主屋とは直角の場所に建てられているため、曲がり家に見えるのです。曲がり家の祖形のひとつとされる建築配置です。
【2】大棟は土を盛って草を生やす芝棟としています。
【3】屋根を補修するトタンが落ちてしまって、何とも痛々しい限りです。

旧南部藩領の民家といえば曲がり家。主屋と馬屋を一体化させた家で、馬の管理や飼育に適していました。かつては岩手県の北部から中部にかけて広く分布し、中でも馬産地として名を馳せた遠野に多く、正に遠野は曲がり家の本場とでもいうべき場所でした。


O家住宅。1926(大正15)年築、砂子沢では最も新しい曲がり家

外装を補修された曲がり家はいくつか残っている

そんな遠野にあって、最後まで曲がり家を多く残していたのが砂子沢です。1976(昭和51)年度には遠野市が調査を行い、環境保全地区を定め、いずれは国の重要伝統的建造物群保存地区となることも視野に入れていました。しかし結局選定されず現在に至り、その過程で曲がり家は数を減らしていきました。

遠野市の調査時点で、ここには16棟の曲がり家が現存していました。調査から37年後の2013年、わたしが訪問したときには、曲がり家は5棟しか確認できませんでした。そのうち茅屋根を見せていたのはわずかに1棟。


唯一、茅屋根を見せていた曲がり家

この家は芝棟を残してトタンで覆っていた


外装を補修した曲がり家


S家住宅を馬屋側から見る

そんな中、曲がり家ではありませんが、曲がり家の祖形とされる直家のS家住宅が残されていたことにホッとしました(左/トップ写真)。しかしこのS家も屋根が崩れかけていて、果たしていつまで残ってくれるか不安な姿です。

遠野といえば柳田國男の『遠野物語』のため「民話の里」としてのイメージも強く、市では伝承園(1984年)、とおの昔話村(1986年)、遠野ふるさと村(1996年)などの観光施設を次々とオープン。『遠野物語』発刊100年を迎えた2010年には遠野市立博物館がリニューアルオープンしました。


現在の砂子沢の景観

現在の砂子沢の景観

砂子沢も集落景観が維持されていれば、遠野を代表する名所になり得たでしょうに、残念です。あるいは昨今の「重伝建ブーム」ともいえる状態が40年前に起きていたら、すんなりと保存されたかもしれません。


【住所】岩手県遠野市ミサ崎(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『遠野の曲り家 砂子沢(〓崎)の集落 伝統的建造物群保存地区調査報告』遠野市教育委員会、1977年(〓は身へんに鳥)

2013年7月13日撮


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