一戸
いちのへ

九か戸筆頭地の沽券

岩手県北部から青森県南東部にかけて、戸のつく地名が集中しています。一戸はその筆頭地だからというわけではないのでしょうが、2階建ての入母屋民家が連なり、格調高い町並みを見せてくれます。

【1】歴史的建造物が並ぶ一戸の町並み。ここは江戸時代、奥州街道の宿場町でした。
【2】家の多くは2階建ての入母屋造り。妻入りで間口の広い家が多く、関係ありませんが「さすが九か戸の筆頭地」と思わずにはいられませんでした。
【3】1階に下屋を出すのは、東北地方で多く見られる町家の造作です。下屋に部屋をつくる家もありますが、一戸では通路とし、青森県の黒石などで見られる「こみせ」に似たつくりになっていました。

一戸は奥州街道の宿場町であると同時に、糠部(ぬかのぶ)三十三観音のひとつ実相寺に詣でる巡礼でも賑わいました。IGRいわて銀河鉄道の一戸駅前から北へ延びる旧道には、いまも古い家が見られ、当地の歴史をしのばせます。


一戸の町並み

一戸の町並み

ところで、岩手県北部から青森県南東部にかけては、戸のつく地名が連続しています。由来についてははっきりしませんが、文治6(1190)年の後白河法皇院宣に、戸で生産された馬を指す「戸立」の語があることから、平安末期から鎌倉初期には成立していたことがうかがえます。

九か戸の由来の一説が、弘仁年間(810〜824)に文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が、蝦夷平定ののち置いた守備兵の駐屯地を柵戸(さくのへ)と呼び、それが村落に発達したというもの。また、鎌倉の北條氏が糠部郡内を一戸から九戸まで分画し、代官を置いて所領管理にあたらせたことに始まるという説もあります。


平入りの町家群


下屋を出さず、庇のみ設けた家も多い


路地裏に旅館風の建築があった

江戸時代に諸街道が整備されると、一戸は奥州街道で江戸から96番目の宿場となりました。現在、旅籠を思わせる建物は見られませんが、間口の広い妻入りの町家が多く、堂々とした町並みを展開しています。


【住所】岩手県二戸郡一戸町一戸(地図
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(2)青森県』角川書店、1985年
『角川日本地名大辞典(3)岩手県』角川書店、1985年

2015年11月23日撮影


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