七戸
しちのへ

過去は遠のく商家町

七戸は奥州街道の宿場町で、かつては商業が盛んだったところ。しかしいまや交通の要衝としての役割は失われ、ますます過去が遠のいた感があります。

【1】七戸は醸造の町。路地裏には大きな酒蔵が建っています。しかしこの酒蔵群(十和田正宗盛喜)は、もう営業していません。
【2】町家は間口3間ほどの小ぶりなものが多いのですが、せいがい造りで立派に仕上げられています。
【3】ところどころで板葺きの屋根が見られました。

七戸の町並みは近江商人が築いたといっても過言ではありません。
江戸時代、七戸には奥州街道の宿場が置かれました。江戸から数えて104番目で、地図を見れば陸奥国(むつのくに)の奥も奥、さぞかし人家もまばらだったのではなかろうかと思いきや、近江商人が続々と根を張るほど商業繁華な土地だったといいます。幕府の蝦夷地(北海道)進出や、対ロシア政策によって往来が増し、商人が多く住み着いたようです。


旧奥州街道沿いの町並み

盛田庄兵衛の店構え
近江商人をルーツにもつ旧家のひとつが、銘酒「駒泉」をつくる株式会社盛田庄兵衛。創業は安永6(1777)年で、公式サイトによると、もとは呉服やランプなどの問屋だったそうです。
この盛田庄兵衛、2009年に一度倒産しています。厳密にいうとかつては「盛庄商店」という会社で、倒産後に現法人に移行して営業を続けています。

七戸にはほかにも廃業した醸造業者があります。そのひとつが、盛田庄兵衛の向かいにあった十和田正宗盛喜。享保9(1724)年創業の老舗でしたが、2010年に廃業し、あとには立派な酒蔵の建築群だけが残されました。
これらの建築群は天保年間(1830〜45年)の大火でも焼け残ったと伝えられています。この先どうなってしまうのか、非常に気がかりです。


旧十和田正宗盛喜の建築群

軒裏をせいがい造りとする七戸の家
盛田庄兵衛の並びにあった味噌醸造の山勇商店も、いまは営業していません。こちらは1902(明治35)年築の商家が残され、現在では催事に公開されています。
山勇商店は妻入りで、2階に庇を出し、その下をせいがい造りとしています。せいがい造りは東北地方の商家でよく見かけます。

左が山勇商店、右奥が盛田庄兵衛

七戸町には2010年、東北新幹線の七戸十和田駅が開業しました。1997年に南部縦貫鉄道線が休止(廃止は2002年)して以来、13年ぶりに鉄道が開通したことになります。しかし旧宿場町はその恩恵を受けることなく、ひっそりと静まり返っていました。


この家もせいがい造り


登録有形文化財の旧七戸郵便局。1928(昭和3)年


七戸城跡の近くには、塀や門をもつ武家屋敷風の家がある


【住所】青森県上北郡七戸町七戸、町、寺裏(地図
【公開施設】山勇商店(催事中のみ)

2016年9月18日撮影


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